平和を目指す処方箋

  8月15日、78回目の終戦記念日を迎えました。新聞などで見る、戦災体験を語る人々の年齢も気がつけばかなり高齢になり、戦争の悲劇を肌がひりひりするような実感を伴って伝えていくことが今後ますます難しくなっていくことを感じます。一方で、ロシアのウクライナ侵攻以来、世界の安全保障の潮流が大きく変わり、長く平和主義を掲げてきた我が国もその例外でないことが気がかりです。

【都内の戦災構造物】
  あまり知られていませんが、私の地元、東大和市には「旧日立航空機株式会社変電所」という戦災構造物があります(※1)。

東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所
東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所


 東京の空襲というと都心部のイメージでしたが、この辺りは軍需工場があったため、先の大戦末期には空襲があり、従業員や動員された学生、周辺住民など多くが犠牲になり、壊滅的な被害を受けました。この変電所も、窓や扉は吹き飛び、外壁だけでなく屋内まで、機銃掃射や爆発物の破片により穴だらけになりました。
 それが今日まで保存され、現在周辺は公園として整備されています。無数の弾痕を生々しく残した機銃掃射のあったこの空間に、生身の人間も多数いたことを思うと鳥肌がたつようです。いっぽうで、四季折々の花が咲き、家族連れで賑わう公園の風景は平和そのものです。この強烈なコントラストは異様でもありますが、戦争もすれば平和も愛する、私たち人類の二面性の映し鏡のようにも感じられ、悲しくも愛しいような、何とも言えない気持ちになります。

【戦争は人類の宿命か】
  生きもの屋として戦争を考えるとき、進化生態学的に考えるともはやこれは、人類の宿命では、という考えに捕らわれることがあります。簡単に言うと「戦争が好きで得意な種族」と「平和を愛する種族」が鉢合わせて競合したとき、どちらがより多く子孫を残せるか?と考えると、おのずと前者に軍配があがり、後者は絶滅しそうです。結局は、現代に生を受けた私たちも皆、血塗られた種族の子孫。でも、本当にそうなのでしょうか。

【戦争のない20万年】
 人類学を紐解いてみるとしかし、狩猟採集生活をしていた20万年もの間、「戦争」と呼べるようなものはほとんどなかったというのが定説のようです(※2)。考えてみれば狩猟採集生活では食糧も人口も密度が低いので、群れ同士が鉢合わせる機会も少なかったでしょうし、「戦争」を組織的に行うほど群れの規模が大きくなかったということ、誰もが定住しないその日暮らしでは襲撃のリスクを犯してまで奪うほどの物もなかったなど、その理由はいろいろな面から考えて合理的です。要するに戦争をするほどの余裕がなかったというのが実際のところかもしれません。

【農耕文化と戦争の因縁】
 それが約1万年前、農耕が始まると劇的に状況が変わりました。食糧には土地に資源や労働を投資した対価としての意義が生まれ、土地や収穫物に対してそれまでなかった「所有」の概念が生まれました。富の集積と共同体の肥大(群れ→村→国家)が起き、階級が生まれ、身分格差が生じました。共同体が肥大すれば更なる土地が必要になり、周囲の別の所有者から奪うほかなくなりますし、富や権力に魅了された者が覇権を求めて戦争を繰り返したのは理解できます。
 とはいえ、20万年以上の歴史を持つ人類が戦争を始めたのが直近の1万年というのは、少し意外でもありました。個人的には、もっと本能的な、根源的な衝動のようなものが戦争に関わっているような印象を持っていたのです。

【非互酬性と利他行動】
 ところで、共同体のなかに目を向けると、類人猿と分かれた祖先の頃から、「非互酬的」な関係、つまり見返りを期待せずに何かを与えたり助け合ったりという「利他行動」が成立する関係が発達したと言われています(※3)。多くの動物でも、親子や血縁者においてはこうした関係は一般的ですが、それ以外を対象とした非互酬性はあまりみられません。私たちの祖先は家族が複数集まった共同体(群れ)単位で助け合って暮らしてきました。共同体の中にも血縁者がある程度いれば、こうした無償の利他行動は適応的になる(生存や繁殖の成功確率を増大させる)可能性があるようです。この特性は狩猟採集生活の頃には、「仲間のために危険な狩りに赴く勇気」といった形でも発揮されていたかもしれません。
 このような、言ってみれば愛情深い性質は、農耕文化でも維持されました。しかし「共同体のために戦地に赴く」というように、共同体間では残念ながら、平和よりは戦争に向けて発揮されてきたのかもしれません。

【戦争の利害と対立軸】
 さて、戦争で得をするのは多くの場合、支配者階級や、今日では軍需産業など一部のセクターの資本家に限られていて、状況をコントロールするのもそうした層です。一方で、戦争のコストを払うのは、いつの日も圧倒的多数を占める民衆です。よく言われるように、実際に死線をかいくぐるような戦地に赴くのも、住居や耕作地を追われ、大切な労働力を奪われ、略奪に遭い、家族を失うのも、多くは為政者や資本家ではなく、民衆です(※4)。人類が助け合って生きるために培ってきた普遍的な性質である非互酬性、利他性が、一握りの人たちの利益のために、「国家のため」「亡き同胞のため」といった巧みなプロパガンダなどを通じて利用されてきたとしたら、悲しいことです。
 そうしてみると、「ウクライナに支援を」「ロシアに制裁を」というように、戦争が「国家対国家」の文脈で語られることに慣れきっている私たちですが、「権力対民衆」という別の、隠された対立軸が意識されてきます。

【平和主義と民主主義】
 このような利害や、人類が戦争をするようになった経緯を考えてみると、権力は戦争に向かっていくもの、というのは残念ながら普遍的な傾向に思われてきます。では、平和のために私たちはどうすればよいのでしょうか。
 意外なことに、その処方箋は戦後すぐに示されていました。日本国憲法の前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(中略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあります(※5)。戦争を起こさないためにも主権が国民にあることが大切なことがわかります。また、第三章第十二条には「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあり、自由と権利、その先の平和のための、国民自体の努力を求めています。
 要は私たちのひとりひとりの政治参加なくして、平和は守れないということは、70年以上前から分かっていたのです。省みて自分はその努力を惜しまなかったか。傷だらけの変電所に問われているような気がした、78年目の終戦記念日でした。

(代表 高木圭子)

※1 戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所(東大和市)
https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/museum/1006099/1006102.html
※2 ヒトはなぜ争うのか 進化と遺伝子から考える(若原正己、新日本出版社)
https://www.shinnihon-net.co.jp/general/product/9784406059626
※3 NHKブックス No.1099 暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る(山際寿一、NHK出版)
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000910992007.html
※4 平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和(松元雅和、中央公論新社)
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/03/102207.html
※5 日本国憲法(衆議院)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

形を変えて適応する水田雑草、キクモ

 梅雨が明け、夏も本番になると、棚田のような田んぼでは稲だけではなく、水田雑草も育ってきます。田んぼは、水が張られている状態もあれば、中干しや落水による乾燥もあるため、植物にとっては特殊な環境です。水田雑草はどのようにして田んぼに適応しているのでしょうか。水田雑草の1つ、キクモを例にご紹介します。

気中葉を広げたキクモ
気中葉を広げたキクモ

 キクモは、田んぼが乾燥しているときは、葉の幅が広い「気中葉」をつけますが、水が張られて水中に沈んだ部分は、葉の幅が狭い「沈水葉」をつけます。気中葉は、葉を乾燥から守る表皮のクチクラ層が発達し、空気中でガス交換をするための気孔が分化しています。一方、沈水葉は、表皮のクチクラ層が発達せず、葉肉細胞も数層しかなく、気孔も分化していません。これにより表皮細胞を通じた水中でのガス交換を容易にし、薄い葉で弱光を効率よく利用しています。このように同じ植物体でありながら、空気中と水中で形や構造の違う葉をうまく使い分けることで適応しているのです。

 しかし、キクモなどの水田雑草は乾田化などにより絶滅が危惧されている地域も多数あるのが現状です。伝統的な田んぼの環境に適応した水田雑草は、こうした田んぼがなくなってしまうと生育場所がなくなってしまいます。さまざまな生き物の生活の場でもある棚田のような田んぼがこれからも維持されることを願うばかりです。

(植物担当:志賀)

※本稿は認定NPO法人棚田ネットワーク様の会報誌「棚田に吹く風」(https://tanada.or.jp/tanadanetwork/backnumber/)に連載しているコラム「生きもの屋の里山考」に寄稿した内容です。(第128号、2023年夏号)

新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます
旧年中の格別のご厚情に深く感謝致しますとともに
皆さまのご健康とご繁栄をお祈りいたします
本年もどうぞよろしくお願いします

【旧暦棚田ごよみ】
 これを書いているのは年の瀬で、一年のごあいさつにお配りする「旧暦棚田ごよみ」の発送作業がひと息ついてほっとしているところです。カレンダー代わりにお配りするようになって3年目の今年は、旧暦は「閏月」を含めた13ヶ月となっています。現代の暦に慣れた私たちからすると、平年にも増して摩訶不思議な暦となっていますが、そこも楽しんでいただければ幸いです。
 この「旧暦棚田ごよみ」は一部の方には大変評判がよく、そのコンセプトやデザインをお褒めいただくことも多いです。しかし実際のところ企画・制作は当社も法人会員となっているNPO法人棚田ネットワーク様によるもので、当社はそのフンドシをお借りしているまでです。とはいえ、私もまたこの旧暦棚田ごよみの熱狂的なファンのひとりで、多くの方に知って貰いたいという思いがあります。当社版と若干異なりますがオリジナル版は棚田ネットワーク様のウェブサイトよりご購入いただくこともできますので、興味のある方はぜひお試しください(※1)。

【完新世という時代】
 当社版には代表の巻頭言を掲載していますが、今年は社内での出来事から時空を飛び越えるような突飛な展開があり、面食らった方もいるかもしれません。そんなふうに思考が飛躍したのは、白状すると最近読んだ本「縄文人の植物と食べ物~縄文人は幸せだったか~」(※2)の影響です。昨今、ユートピアのようにもてはやされる縄文時代、縄文人は本当に幸せだったのかどうか、という野心的な副題に引き寄せられて手にとりました。
 本書の前段では前提のお話として、地球の歴史としての考古地理学的な気候の変遷が整理されています。こういった壮大な話は、これまでも何度か聞いてきたようには思うものの、改めて聞かされるとそのスケールの大きさに圧倒されます。直近のお話だけかい摘まむと、現代を含む温暖な完新世、これが人類や現在の世界の生態系を繁栄させた時代ですが、1万年ほど続いていると言われます。そのひとつ前の更新世と呼ばれる250万年もの間は、断続的とはいえ概ね氷河期でした。完新世に対する更新世の長さもさることながら、これが45億年といわれる地球の歴史の直近250万年程度の話なのですから、現在の地球の状態がいかにうたかたの奇跡であるかを実感せずにはいられませんでした。

【縄文人は幸せだったか】
 それにしても副題の「幸せだったか」というのは実に難しい問いです。実際本書を読むと、縄文時代を生き抜く、つまり餓死も凍死もしないように食料と燃料を途切れることなく調達し続け、そのなかでさらに子ども達を複数育て上げるには、現代とは比べものにならないくらいの労と生きる技術が必要であったことが分かります。当然、どこかで失敗して潰える生命も多く、むしろそれが日常であったかもしれません。
 しかし、「幸せだったか」という問いに立ち返ると、幸せかどうかは「認識」の問題であることに思い至ります。もちろん、私たちが突然、身体ひとつで縄文時代に降り立ったとすれば、とても生き抜けない、つまり不幸になるでしょう。しかしそのような世界を、それしか知らない人たちがどのように認識していたかというのは難しい問題です。ただ、縄文時代にも気候変動はあり、平均気温の上昇・下降に応じて人口もドラスティックに増減していたようです。だとすれば、人口が上昇する時期は幸福が多く、人口が減少する時期は様々な不幸があったことは想像できます。

【21世紀人は、22世紀人は幸せだったか】
 現代に目を移してみると、過去一世紀の間に私たち人類は爆発的といっていいほど増加しました。それは人類にとって過去何百万年も経験したことのない狂気のような幸福だったのかもしれません。しかし、2019年の国連の報告書(※3)によると、世界人口は2100年頃、110億人で頭打ちになると予測されています。頭打ち後の22世紀を生きるであろう子ども達の世を不幸にしないために、私たち21世紀人の叡智がためされているように思います。

(代表 高木圭子)

※1 令和五年旧暦棚田ごよみ(棚田ネットワーク)
https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/

※2 縄文人の植物と食べ物: 縄文人は幸せだったか(アマゾン)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%A4%8D%E7%89%A9%E3%81%A8%E9%A3%9F%E3%81%B9%E7%89%A9-%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B-MyISBN-%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B0%E7%A4%BE-%E6%A8%BD%E6%9C%AC-%E5%8B%B2/dp/4815029725

※3 世界人口の増大が鈍化、2050年に97億人に達した後、 2100年頃に110億人で頭打ちか(国債連合広報センター)
https://www.unic.or.jp/news_press/info/33789/

新米調査員の沖縄研修

 朝晩はめっきり寒くなり、冬の始まりを感じる頃となりました。この時期は両生類も爬虫類も見かけることが少なくなり、フィールドで少々寂しい気持ちにもなります。
 そんな本土の寒さとは無縁な沖縄県で、先月、日本爬虫両生類学会が開催されました。日本の爬虫類や両生類に関する最新の研究内容が聞ける折角の機会ですし、私自身が発表のお誘いを頂いたこと、加えて沖縄県ならまだ両生類や爬虫類に出会えるだろうと考え、沖縄県まで行ってまいりました。今回は学会にかこつけて向かった沖縄遠征の模様と、日本爬虫両生類学会での感想を紹介したいと思います。

<沖縄遠征の成果は如何に> 
 遠征先として、友人からイボイモリがいたと聞いていた沖縄県本部半島に向かいました。私は沖縄遠征の経験があまり無く、目当てのイボイモリが見つからなくとも、本州で見られない南西諸島の種なら何でも嬉しいと、レンタカーで意気揚々と向かったのですが、 結果は全然見つかりませんでした。イボイモリどころか両生類と爬虫類どちらもほぼ見つからず、暗い森の中を懐中電灯片手に散歩するのみ。学会のスライド準備に時間がかかり、適当に当たりをつけて調査地を選んだことが良くなかったと思います。探索の最後には、辛うじてオキナワアオガエルと出会えましたが、現地調査前の下準備の重要性を強く実感する遠征となりました。

写真1 唯一出会えた両生類のオキナワアオガエル
6㎝ほどの立派な体に鮮やかな体色で目が覚めました。
写真1  唯一出会えた両生類のオキナワアオガエル
6cmほどの立派な体に鮮やかな体色で目が覚めました

<本命の学会での感想>
 遠征は残念な結果でしたが、翌日からは気を取り直して学会に参加しました。学生や研究者の方々がこれまでの研究成果を口頭やポスターで発表していくのですが、口頭発表は3会場で同時に進んでいくため、面白そうな発表が同時に行われていると、どれを聴きに行くか決めなくてはなりません。出来ることなら分身してすべて聞きたいところですが、この葛藤も学会参加の醍醐味であると思っています。新種の可能性や、新たに明らかにされた行動や生態、外見や鳴き声の違いなど興味深い発表を聴いて、純粋に面白いと感じるとともに、業務を行う上で、種を判断するための形態や鳴き声に関する知見は重要な情報でもあります。発表された新しい知見や手法をこれからの業務に活かせないか考えていると、あっという間に時間が過ぎていました。
 また、私自身も企画集会で学生時代の研究について手法を主に発表させて頂きました。人前に立っての発表は久々でしたのでとても緊張しましたが、無事に発表することができました。

写真2 会場になった琉球大学入口に掲げられていた看板
話を聞くのに集中して、会場の様子を取り忘れてしまいました。

 つい先日には、この沖縄大会で新種の可能性があると発表されていたヒメタゴガエルが新種として記載され、業務で見つけた際に見分けなければならない種がまた1種追加されました。両生類・爬虫類の分野は毎年続々と新種や新たな発見が報告されていて、新しい情報に追いつくだけでも大変ではあります。ですがその分とても面白く、勉強しがいのある分野でもあります。入社して1年、まだまだ勉強不足ではありますが、生物調査の専門家として一人前になれるようこれからも情報を日々更新していきたいと思います。

(両生類・爬虫類、哺乳類担当:勢井慎太郎)

分断に抗う

 8月に入ると、私たち日本人は否が応でも戦争について考えさせられるものです。それが、隣国ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにした今年ならば尚更に思われます。
 戦争を知らずに生まれ育った私は、そうは言ってもこれまでは結局、自分を取り巻く世界ができるまでの「歴史」としてしか「戦争」を認識してこなかったのかもしれません。しかしそれが、私たち人の「現在進行形の業」として一部終止を見せつけられた戦慄を、どう表現したらいいのかわかりません。考えてみればそれは、世界のどこかでは途切れることなく続いてきたというのに、不誠実な無関心があったことは否めません。今世紀に入ってから始まったものだけでもWikipediaには32件の戦争がリストアップされ、そのうち12件が現在も継続しているとされています(※2)

ひまわり画像
ウクライナのイメージが強いひまわりですが、ロシアも主要生産国です(※1)
 どちらの国にも等しく、私たちと同じ生活者があることを忘れたくないものです。
ウクライナのイメージが強いひまわりですが、ロシアも主要生産国です(※1)
どちらの国にも等しく、私たちと同じ生活者があることを忘れたくないものです。

【なぜ人は戦争をやめられないのか】
 犯人捜しや非難の応酬に陥ることなくこの問いを突き詰めてみると、それは「なぜ人は環境破壊をやめられないのか」と同じところに根ざしているように思えます。本来大多数は、平和と幸福、周囲との協調、子ども達の繁栄を願う素朴な生活者であるはずの私たちが、善意をもって真摯に取り組んだことであっても、それが巡り巡って他の誰か、あるいは私たち自身の首を絞めていることがあります。
 例えば、日本の年金資産を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、ロシアも使用したというクラスター爆弾を製造する企業に投資していたというニュースは、まだ記憶に新しいところです(※3)。家族や将来のためにひたむきに働いて積み立てた年金が、世界のどこかで爆弾の開発・製造を支える資金になっていました。また、あらゆる電子機器に使用されるレアメタルの産地であるコンゴ(※4)、高品質の綿花を産する新疆ウイグル自治区(※5)など、私たちの暮らしを支える身近な資源、その産地を舞台にした紛争や人権問題は、世界中で枚挙にいとまがありません。環境問題にしても同じで、私たちが職務を果たすなかで消費する紙のために、世界中の木材が切り出されたり、当たり前の清潔や食生活を支えるパーム油の大量生産が、熱帯雨林を消滅させていたりします。
 グローバル化とセクターの細分化により、全貌が見えない巨大な歯車の集合体となった社会システムのなかで、しのぎを削らされているうちに、いつの間にか戦争や環境破壊に加担させられている現実があります。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」というくらい回りくどい因果関係だったり、地球の裏側のような遠い場所で起きていたり、何年も経ってから影響が出たりするので、日常的に意識するのがとても困難です。また、こうした私たちの日常の加害性に思い当たったとして、それを今きっぱりとやめてしまうには、私たちの暮らしはこの巨大な社会システムへの依存度が高すぎます。電子機器や紙、パーム油を消費することも、年金を納めることも、自分ひとりの意志ですぐにやめることはもはや、社会の一員として許されないのが現実です。これはもう社会の仕組としての業としか言いようがありません。

【社会システムという魔物、分断という呪縛】
 近代以降も含めた歴史が示してきたように、人が作り上げた社会システムというものは、絶えず改善を要するものであり、今もまだその途上であることは疑いようもありません。しかし、不完全なままに極限まで肥大した現代の社会システムは、もはやそれ自体が生きもののように振る舞って誰の意志通りでもなくなり、被害者だけでなく加害者までもが絡め取られて自由を失っているように感じます。この社会システムの肥大は、その構成員としての個の力を相対的に矮小化するに留まらず、あらゆる局面における「分断」により、さらに無力化させてしまいます。
 元来、人は協力し、力を合わせて社会を築いてきました。しかし現代の社会システムは、「切磋琢磨」と言えば耳あたりがいいですが、実際には互いにしのぎを削り、パイを奪い合うようにできています。分断は人を孤立させ、無力感と不安がさらに分断と対立を加速させます。核家族化、地域社会の空洞化、地方と都市、格差社会、全てが分断の要因であり結果でもあります。この強いられた分断こそが私たちひとりひとりの協調・連携する力を奪い、利害の調整を放棄させ、盲従することによって社会システムの暴走を許しているように思われます。

【頑固なまでに「協調」を武器に】
 このように考えてみると、問題は根深く、強いられた分断のなかで私たちができることは限られているようにも思われます。しかし、私たちはこれからも、この分断に抗い、その垣根を越えて、あらゆる主体との協調と連携によって課題を解決していくことに、頑固に拘っていきたいと考えます。これまではそれが、激動の時代の荒波に飲まれないためのひとつの重要な戦略と考えてきました。しかし、ウクライナ侵攻と、それを契機に世界を席巻する不穏な渦を目の当たりにした今では、協調と連携こそが、この渦に逆らい、協調が協調を呼ぶ連鎖によって、巡り巡って環境保全や反戦にも繋げていける行動原理であると信じています。

(代表 高木圭子)

※1 サンフラワーシード(ヒマワリの種)の産地・生産量ランキング【世界】(食品データ館)
https://urahyoji.com/crops-sunflower-seed-w/

※2 戦争一覧(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7

※3 年金運用のGPIFがクラスター弾製造企業に投資 ロシアも使用した非人道的兵器(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/168793

※4 ノーベル平和賞が問いかける紛争鉱物と日本の関係 コンゴの人権危機と日本の消費者とのつながりを研究する(東京大学)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0508_00037.htm

※5 特集 新疆公安ファイル(毎日新聞)
https://mainichi.jp/xinjiangpolicefiles/

“ミクロワールド”へのいざない

 春も深まり、暖かい日々もだんだん増えてきました。今年の厳冬期は都心での降雪も多く、雪国の北海道などですら、大雪による影響を受けるなど、例年にない大変な季節であったのではないでしょうか。そんな中でも、生きものはこの季節の変化で徐々に冬眠から目覚めたり、活発に活動し始めたりと最盛期にむけ動く時期になりました。それに並行して、みなさんも、重い腰を上げながら外へ出る機会が多くなることでしょう。
 今回は、そんなみなさんに、身近でも見つかるかもしれない注目してほしい「小さな水辺の生きもの」を紹介したいと思います。

<みなさんイメージにある”水生昆虫”は?>
 まず、みなさんはゲンゴロウやアメンボなどの水に棲む昆虫、いわゆる「水生昆虫」をご存知でしょうか。よく、私たちの祖父母や父母の世代で田んぼや池などの水辺が身近にあった人たちには、「昔はよく田んぼなどでみたよ」や「飼ったりしたよ」などという人が多いのではと思います。確かに、これらの水生昆虫は、昔とは異なり最近は人間活動による開発や水辺環境の悪化などにより、日本でも見ることができる地域が少なくなってきました。
 しかし、皆さんのイメージしているゲンゴロウやアメンボ、タガメなどは以下の写真のような、大きなものではないでしょうか?

写真1  みなさんのイメージにあると思われる水生昆虫【ゲンゴロウ(左上)・タガメ(右上)・アメンボ(オオアメンボ、下)】
写真1  みなさんのイメージにあると思われる水生昆虫【ゲンゴロウ(左上)・タガメ(右上)・アメンボ(オオアメンボ、下)】

<水辺に棲む水生昆虫の意外な姿>
 実は、こういった“大きな”水生昆虫は日本でも一部の種に限られているのです。
 「じゃあ、私たちがイメージしている水生昆虫ではなく、大半の“水生昆虫”はどのくらいの大きさなの?」と言われると…

写真2 サイズイメージ (指に乗っているのはコウチュウの仲間、チュウブホソガムシ)
写真2 サイズイメージ (指に乗っているのはコウチュウの仲間、チュウブホソガムシ)

 お判りでしょうか?わかりやすく皆さんが分かるように中指に乗せた写真をお見せしています。ぜひご自分の指から想像してみてください。
 水生昆虫(細かくはコウチュウやカメムシの仲間を中心とした、一生を水に依存する真水生昆虫類)は、大部分の種がこのくらいのサイズなのです。いやー小さいですね(笑)。「眼を凝らしてもわからないよ!笑」と言われるかもしれませんが、何を言われようともこのサイズが大半なので、仕方がありません…

<身近な水辺を覗いてみよう!>
 さて、それでは早速今回このブログのことを頭の片隅において、近くの田んぼや公園の池、川の岸際などに出向きましょう。心落ち着けてよく観察してみてください。すると…

写真3 小さな水生昆虫たちの一部【コツブゲンゴロウ(約4㎜)、チビゲンゴロウ(約2㎜)、ナガレカタビロアメンボ(約2.5㎜)、ヘラコチビミズムシ(約2㎜)】
写真3 小さな水生昆虫たちの一部【コツブゲンゴロウ(約4㎜)、チビゲンゴロウ(約2㎜)、ナガレカタビロアメンボ(約2.5㎜)、ヘラコチビミズムシ(約2㎜)

 こんな感じの水生昆虫の、大小さまざまな仲間が観察できてくると思います。先ほど日本でも見ることが少なくなってきたと書きましたが、実は目を凝らすとこれらの種は意外にも都会の水辺や学校の清掃前のプールetc…と身近にいることが多いです。また、大きな水生昆虫よりも色も形も多様であり、見ていて飽きることはないと思います(私見)。

写真4 川で水生昆虫を凝視する著者(ちなみに専門は淡水魚類)
写真4 川で水生昆虫を凝視する著者(ちなみに専門は淡水魚類)

 探すのはこんな感じで肩が凝りやすいですが、目が慣れるとすぐ見つかるようになります。ぜひ皆さんも2022年はこの小さな世界、“ミクロワールド”に注目してみてください!これからの行楽シーズンでお出かけの際は、お散歩ついでにそっと近くの水辺をのぞいてみてはいかがでしょうか。
 今回はほんの一部しか紹介していませんが、水生昆虫の探し方のコツや観察の注意などは以下などを参考にしていただくとよいと思います。

・中島 淳、タガメとゲンゴロウだけじゃない! 超保存版・水生昆虫との出会い方、調べ方
https://buna.info/article/3844/

 このブログをきっかけにみなさんの新たな発見につながることを祈念します。

(小動物・水生生物担当 内田大貴)

入社1年目を振り返って

2021年4月に新卒で入社した、植物の技術者1年目の志賀です。先日は雪の中、ヤマネの調査の応援に行ったのですが、植物屋の私は降雪のフィールドに出ることがあまりなかったのでとても新鮮で、冬季は常緑樹が見つけやすいので、ついつい夢中になって観察してしまいました。今回はそのような私が入社1年目を振り返って感じたことをご紹介します。

調査風景

環境指標生物に入社してからは、大変ではありながらも私が大好きな植物に関わることができた、充実した1年間だと思います。その中でも入社して良かったと思うことは大きく2つあります。

まず1つ目は、現場での実践的な技術を身につけられたことです。入社1年目で担当した植物相調査や毎木調査、移植作業などはいずれも、学生時代にはあまり経験したことがないものでした。しかし、実際に経験することで現場での実践的な技術が身につけられたと思います。特に印象的なのは、あまり経験がなかった植生図の作成に関する技術です。植生図とは植物群落単位で植生の拡がりや分布を示した地図のことで、どの植物群落がどこにあるのか調査し、その境界を線引きすることで作図します。これまでは地表から見ていた植物群落の違いや広がりを、航空写真から読み取る技術を修得しました。ただ写真の色や形といった見た目だけを見ているうちはとても難解でしたが、その場所の地形や気候、地質や土地利用の履歴などを総合的に検討して植生を決めることを先輩方から教わり、より明確に植物群落が見えてきました。このように様々な実践的な技術が身につき、植物調査技術者としての成長を実感することができました。

次に2つ目は、多くの植物種に出会えたことです。入社してから、北は岩手県、山形県から南は京都府まで、12都府県で調査に携わりました。また場所によっては1年間を通して調査することもありました。このように地理的にも季節的にも広い範囲をカバーする必要があったため、様々な植物が観察できて楽しいと思う反面、今までの知識では同定できない植物種が多く、自分の知識不足に対して悔しい思いをすることが多々ありました。特にスゲ属やシダ植物などの今まで同定機会が少なかった植物の同定には苦労しました。しかし、分からない植物が多かったからこそ様々な環境の、様々な季節の植物に出会えました。この1年間の調査で植物の知識が増えたことを実感し、嬉しく思っています。

以上のように入社してからの1年間は、勉強になる非常に充実した1年間でした。2年目からは、1年目で学んだことを活かして信頼される環境調査員になれるよう技術を磨いていきたいと思っています。またそれだけではなく、報連相をきっちり行い、社内外を問わず積極的にコミュニケーションを取ることで、人と生きものをつなぐ仕事にもより貢献していきたいと思います。

(植物担当:志賀)

新年のごあいさつ

 明けましておめでとうございます
 新しい一年をつつがなくお迎えのこととお慶び申し上げます
 皆さまが健やかに心豊かな一年を過ごされることをお祈りします

 ご多分にもれず、年末はずいぶんとバタバタしておりました。その理由のひとつは、昨年に引き続き、一年のごあいさつにお配りする「旧暦棚田ごよみ」の編集作業です。今年は巻頭にあいさつ文を入れただけでなく、土壇場で欲を出していろいろ当社のカラーを盛り込んで頂きました。このために社内のみならず、制作もとの棚田ネットワーク様を巻き込んでの大変なドタバタでしたが、お陰様で、より当社らしいものができたと思います。

令和4年の旧暦棚田ごよみ

【旧暦棚田ごよみとは】
 すでにお手元に届いている方はご承知のとおりですが、「旧暦棚田ごよみ」は、その名の通り旧暦ベースという結構なキワモノです。どういうことかと言うと、旧正月(今年は2月1日)からスタートして、月の満ち欠けに従って月が改まるため、めくるタイミングが普通のカレンダーと異なります。また、年によっては「閏月(うるうづき)」があるほど一年の長さが違うので、立春前後の生まれの方は誕生日がない年や2回ある年があります(昨年、苦情を頂いて思い至りました)。このような感じで、もはやカレンダーとは呼べない代物かもしれません。

上段が旧暦、下段が現代の暦の日付
(令和4年版は2月1日スタート)

【旧暦という「今ではないいつか」】
 しかし考えてみると、6-7世紀頃に大陸から暦が伝わって以来、明治5年(西暦1872年)の改暦まで1,000年以上、日本人は月の暦で時を刻んできました(※1)。それがどうしたと言われそうですが、現状で誰も疑うこともなく絶対と思われている基準や価値観も、ちょっと時空を越えて俯瞰すると、それほど普遍的でなかった、と言うことはままありそうです。最近の話題で言えば、夫婦別姓然り、資本主義然りです。
 コロナ禍や気候変動を通じていま、これまで私たちが信じて疑わなかった世界の常識やルールが問われています。いたずらな懐古主義や先祖返りが現実的でないことは承知していますが、いま私たちが信じて依存している社会よりもずっと持続可能であった社会やルールから、学ぶべきことは少なくない気がしています。過去に限らず、「ここではないどこか」「今ではないいつか」へ思いを巡らすことが、私たちが直面しているさまざまな社会課題を解決する発想力を助けてくれるように思います。ちょっと大袈裟かもしれませんが、「旧暦棚田ごよみ」は、そんな祈りを皆さんと共有するためのささやかなツールのひとつと思っています。

【新年に向けた思いとごあいさつ】
 このように考えてみると、結局、しめくくりは昨年のごあいさつからあまり代わり映えがしないのですが、経済活動の主体として健全な企業であり続けることを第一としつつも、社会が直面している課題の解決に向けて、狭い世界の先入観から自由になって、私たちなりの取組を進めていきたいものだ、との思いを新たにする次第です。
 一企業の思いと力は微々たるものですが、同じ思いのさまざまな主体と手を携えていければ幸いです。改めまして、本年もどうぞよろしくお願いします。

(代表 高木圭子)

※1 日本の暦 第一章 暦の歴史(国立国会図書館)
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter1/s1.html

バーチャル昆虫採集 in 武蔵野中央公園

少し前のことになりますが、10/10(日)に、武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館が開催する小中学生を対象とした昆虫観察会の講師を務めました。「バーチャル」という名のとおり、ただ単に昆虫を採って観察するのではなく、「BIOME(バイオーム)」(https://biome.co.jp/)というアプリを使った新感覚イベントです。「BIOME」では、投稿した生きものの写真から種名を判定したり、同アプリ内のマップ上へ生きものの写真を表示させて誰でも閲覧できるようにしたりすることができます。

「BIOME」を使った生きものの種名判定の流れを簡単に説明します。下図のように、まずは投稿したい生きものの写真を撮影します。アプリを起動して、投稿したい生きものの写真を所定の場所から選択すると、「名前を決める」という画面が現われ、種名の「判定結果」が自動で出てきます。「判定結果」の中に該当種があればそれを選択して「名前を決める」ことができますが、該当種がない場合は種名を自分で調べて直接入力する必要があります。下図の例でいうと、ナミハンミョウ(左)のような特徴的な種は、種名の判定結果が正しく出やすいですが、ナガゴミムシ属(下図右)のような雄交尾器を見なければ種の識別が難しい種は、判定結果も正しく出てこない場合が多いようです。

昆虫の標本写真から種名を判定した様子
(左:ナミハンミョウ、右:ナガゴミムシ属の一種)


以上のような流れで種名を決定し「BIOME」へ投稿した生きものの写真は、通常GPS機能を持っているため、同アプリ内のマップ上へ表示させることもでき、誰でも閲覧可能となります。そのため、自分が気になった場所でどんな生きものがみられているか、ざっくりと知ることもできるかもしれません。

観察会で観察した生きものを「BIOME」のマップ上に表示した様子


本記事から脱線してしまうのであまり触れませんが、「BIOME」には上述のような機能のほかにも、「生きもの全種コンプリート」を目指したり、アプリ上の「生きものイベント」を楽しんだり、生きものにまつわる情報交換をしたりと、様々な使い方ができるようです。

以上のように「BIOME」は便利なアプリではありますが、野外に潜んでいる昆虫そのものを「探索」するような機能は当然ながら備わっていません。そのため、昆虫に出会うためには相も変わらず、昆虫の住んでいる原っぱや藪、林の中に足を踏み入れ、五感をフル回転しなければなりません。

スマホアプリを使ってしまうとどうしてもそればかりに集中しがちになってしまいますが、いざ昆虫を見つける時間になると、みんな一斉に草へ分け入り、網を振り回したり落ち葉をめくってみたりと、思い思いの方法で「探索」を楽しんでいる様子がうかがえ、生き生きとした表情が印象的でした。

観察会の様子


観察会でみられた昆虫
(左上:ウスバキトンボ;右上:セアカヒラタゴミムシ;左下:イチモンジセセリ;右下:ベニシジミ)


やはり「自然」と接するのが一番ですね。
我々ヒトもほかの生きものと同じ。「自然」なしには生きていけないということをしみじみと感じます。

みなさんもぜひ、「BIOME」をインストールしたスマホを片手に、近所の公園へ足を運んでみてはいかがでしょうか。きっと五感がフル回転されることでしょう。ただし、不審者と思われないよう、十分お気を付けください。

昆虫類担当:菅谷

認識力の外にある危機

今年も暑い暑い8月がやってきました。6日には広島、9日には長崎で、平和を祈る式典が行われ、15日には終戦記念日を迎えました。76年前に起こった惨劇を思うとき、人が人に対して加えたこれほど破滅的な加害に言葉を失い、「なぜ」と問わずにいられません。
振り返って客観的に見れば先の大戦は日本にとって、当初から勝てないことが明確であったといわれています(※1)。その意志決定のプロセスは、本質的な状況分析を避け、先送りと主体性の放棄とを繰り返しているようです。昨今の政治・外交・社会的な事象に対する日本の対応と重ねて見る向きもあるようです(※2)。
生きものは本来、自らを利するようにできていて、人も例外ではないというのが生きもの屋の基本的な考え方です。そうでない生きものは世代を重ねることができず、早晩滅びてしまうと考えられています。それなのに、なぜ人は時に、破滅を自ら選んでしまうのでしょうか。

 

集団自殺するレミング

人以外の生きもののなかにも、破滅的な行動をとるといわれる動物がいないわけではありません。有名なところで、北極圏周辺に生息するネズミの仲間であるレミングは、全体の個体数を調整するために崖から海に飛び降りるなどして「集団自殺する」と考えられていました(※3)。しかし実際には、自らの意志で飛び降りるわけではないというのが今日の見方です。周期的に大増殖と激減を繰り返すレミングは「タビネズミ」とも呼ばれ、大増殖の結果として生じる集団移動の過程で、渡河中に溺死したり、群集に押されて崖から海に落ちたりする個体が少なからずあって、そのように思われたのかもしれません。

 

飛んで火に入る夏の虫

もう少し身近な例では、夏の夜に野外で火を焚いていると火に飛びこんで死んでしまう虫がいます。これはある種の昆虫が持つ「走光性」という光に向かって飛ぶ性質のためです。なぜ光に向かって飛ぶかについては諸説ありますが、夜飛行する昆虫が月明かりを頼りにしていることと関係があるようです(※4)。進化の歴史の長さから言えば、人が野外で火を焚くようになったのはごくごく最近のことで、なんにせよ、光に向かって飛ぶ彼らは、近づくと焼け死んでしまうことに思い至らず、勢い飛びこんでしまうのでしょう。

 

直感で認識できない危機

このように、当事者より少し客観的、俯瞰的、長期的な視点に立てば明らかな破滅に、当事者になると突き進んでしまうことがあります。私たち人は、高度に知性的な生きものと自認しがちですが、案外と当事者になると視野が狭窄して、今ここにある短期的な利益やその場しのぎに飛びついてしまう点では、他の生きものとそう変わらないようにも思えます。戦争や世界的なパンデミックなど、直感的に認識する力を越えた問題に対して、ひとりひとりが合理的な対応をするのは、私たちが思う以上に難しいことなのかもしれません。

 

今ここにある人の危機

さて環境分野では、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が9日、7年ぶりとなる評価報告書を公表しました(※5)。もはや人が地球を温暖化させたことは疑う余地がないこと、国際社会が設定してきた気温上昇1.5℃以内を維持する目標が非常に困難であることなど、これまで以上に大きく踏み込んで切迫した危機を訴えています。温暖化が進めば、森林火災や熱波、干ばつ、洪水などの自然災害、感染症が増加し、水不足や飢餓によりすでに定員オーバーの地球が養える人口はさらに減り、それこそ戦争を含めた様々な悲劇が予測されます(※6)。

気温上昇シミュレーション

報告書に掲載された複数条件での気温上昇シミュレーションの結果(※7)

 

IPCCの報告は、合理的な状況分析により人が出した予測ですから、後世の人から見ればこれもまた「予見された危機」です。それなのに世界が一丸となってこの危機に対応できずにいるのは、人の生きものとしての限界と言ってしまえばそれまでかもしれません。しかし、そこは人が人たる所以であるところの知性と想像力、勇気を最大限発揮して、乗り越えていくことを目指していきたいものです。

(代表 高木 圭子)

※1 アジア・太平洋戦争と国共内戦(朝日新聞)
https://www.asahi.com/international/history/chapter07/

※2 説明なき「安全安心」には納得できない(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120695

※3 Lemming Suicide Myth Disney Film Faked Bogus Behavior(Alaska Department of Fish and Game)
http://www.adfg.alaska.gov/index.cfm?adfg=wildlifenews.view_article&articles_id=56

※4 虫はなぜ灯火に集まるのか?(兵庫県立人と自然の博物館)
https://www.hitohaku.jp/publication/newspaper/43/hm37-3.html

※5 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第I作業部会報告書(自然科学的根拠)の公表について(環境省)
http://www.env.go.jp/press/109850.html

※6 気候大変動が地球と人類に与えうる「12の脅威」(東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/334619

※7 AR6 Climate Change 2021:The Physical Science Basis(ICPP)
https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/