“ミクロワールド”へのいざない

 春も深まり、暖かい日々もだんだん増えてきました。今年の厳冬期は都心での降雪も多く、雪国の北海道などですら、大雪による影響を受けるなど、例年にない大変な季節であったのではないでしょうか。そんな中でも、生きものはこの季節の変化で徐々に冬眠から目覚めたり、活発に活動し始めたりと最盛期にむけ動く時期になりました。それに並行して、みなさんも、重い腰を上げながら外へ出る機会が多くなることでしょう。
 今回は、そんなみなさんに、身近でも見つかるかもしれない注目してほしい「小さな水辺の生きもの」を紹介したいと思います。

<みなさんイメージにある”水生昆虫”は?>
 まず、みなさんはゲンゴロウやアメンボなどの水に棲む昆虫、いわゆる「水生昆虫」をご存知でしょうか。よく、私たちの祖父母や父母の世代で田んぼや池などの水辺が身近にあった人たちには、「昔はよく田んぼなどでみたよ」や「飼ったりしたよ」などという人が多いのではと思います。確かに、これらの水生昆虫は、昔とは異なり最近は人間活動による開発や水辺環境の悪化などにより、日本でも見ることができる地域が少なくなってきました。
 しかし、皆さんのイメージしているゲンゴロウやアメンボ、タガメなどは以下の写真のような、大きなものではないでしょうか?

写真1  みなさんのイメージにあると思われる水生昆虫【ゲンゴロウ(左上)・タガメ(右上)・アメンボ(オオアメンボ、下)】
写真1  みなさんのイメージにあると思われる水生昆虫【ゲンゴロウ(左上)・タガメ(右上)・アメンボ(オオアメンボ、下)】

<水辺に棲む水生昆虫の意外な姿>
 実は、こういった“大きな”水生昆虫は日本でも一部の種に限られているのです。
 「じゃあ、私たちがイメージしている水生昆虫ではなく、大半の“水生昆虫”はどのくらいの大きさなの?」と言われると…

写真2 サイズイメージ (指に乗っているのはコウチュウの仲間、チュウブホソガムシ)
写真2 サイズイメージ (指に乗っているのはコウチュウの仲間、チュウブホソガムシ)

 お判りでしょうか?わかりやすく皆さんが分かるように中指に乗せた写真をお見せしています。ぜひご自分の指から想像してみてください。
 水生昆虫(細かくはコウチュウやカメムシの仲間を中心とした、一生を水に依存する真水生昆虫類)は、大部分の種がこのくらいのサイズなのです。いやー小さいですね(笑)。「眼を凝らしてもわからないよ!笑」と言われるかもしれませんが、何を言われようともこのサイズが大半なので、仕方がありません…

<身近な水辺を覗いてみよう!>
 さて、それでは早速今回このブログのことを頭の片隅において、近くの田んぼや公園の池、川の岸際などに出向きましょう。心落ち着けてよく観察してみてください。すると…

写真3 小さな水生昆虫たちの一部【コツブゲンゴロウ(約4㎜)、チビゲンゴロウ(約2㎜)、ナガレカタビロアメンボ(約2.5㎜)、ヘラコチビミズムシ(約2㎜)】
写真3 小さな水生昆虫たちの一部【コツブゲンゴロウ(約4㎜)、チビゲンゴロウ(約2㎜)、ナガレカタビロアメンボ(約2.5㎜)、ヘラコチビミズムシ(約2㎜)

 こんな感じの水生昆虫の、大小さまざまな仲間が観察できてくると思います。先ほど日本でも見ることが少なくなってきたと書きましたが、実は目を凝らすとこれらの種は意外にも都会の水辺や学校の清掃前のプールetc…と身近にいることが多いです。また、大きな水生昆虫よりも色も形も多様であり、見ていて飽きることはないと思います(私見)。

写真4 川で水生昆虫を凝視する著者(ちなみに専門は淡水魚類)
写真4 川で水生昆虫を凝視する著者(ちなみに専門は淡水魚類)

 探すのはこんな感じで肩が凝りやすいですが、目が慣れるとすぐ見つかるようになります。ぜひ皆さんも2022年はこの小さな世界、“ミクロワールド”に注目してみてください!これからの行楽シーズンでお出かけの際は、お散歩ついでにそっと近くの水辺をのぞいてみてはいかがでしょうか。
 今回はほんの一部しか紹介していませんが、水生昆虫の探し方のコツや観察の注意などは以下などを参考にしていただくとよいと思います。

・中島 淳、タガメとゲンゴロウだけじゃない! 超保存版・水生昆虫との出会い方、調べ方
https://buna.info/article/3844/

 このブログをきっかけにみなさんの新たな発見につながることを祈念します。

(小動物・水生生物担当 内田大貴)

入社1年目を振り返って

2021年4月に新卒で入社した、植物の技術者1年目の志賀です。先日は雪の中、ヤマネの調査の応援に行ったのですが、植物屋の私は降雪のフィールドに出ることがあまりなかったのでとても新鮮で、冬季は常緑樹が見つけやすいので、ついつい夢中になって観察してしまいました。今回はそのような私が入社1年目を振り返って感じたことをご紹介します。

調査風景

環境指標生物に入社してからは、大変ではありながらも私が大好きな植物に関わることができた、充実した1年間だと思います。その中でも入社して良かったと思うことは大きく2つあります。

まず1つ目は、現場での実践的な技術を身につけられたことです。入社1年目で担当した植物相調査や毎木調査、移植作業などはいずれも、学生時代にはあまり経験したことがないものでした。しかし、実際に経験することで現場での実践的な技術が身につけられたと思います。特に印象的なのは、あまり経験がなかった植生図の作成に関する技術です。植生図とは植物群落単位で植生の拡がりや分布を示した地図のことで、どの植物群落がどこにあるのか調査し、その境界を線引きすることで作図します。これまでは地表から見ていた植物群落の違いや広がりを、航空写真から読み取る技術を修得しました。ただ写真の色や形といった見た目だけを見ているうちはとても難解でしたが、その場所の地形や気候、地質や土地利用の履歴などを総合的に検討して植生を決めることを先輩方から教わり、より明確に植物群落が見えてきました。このように様々な実践的な技術が身につき、植物調査技術者としての成長を実感することができました。

次に2つ目は、多くの植物種に出会えたことです。入社してから、北は岩手県、山形県から南は京都府まで、12都府県で調査に携わりました。また場所によっては1年間を通して調査することもありました。このように地理的にも季節的にも広い範囲をカバーする必要があったため、様々な植物が観察できて楽しいと思う反面、今までの知識では同定できない植物種が多く、自分の知識不足に対して悔しい思いをすることが多々ありました。特にスゲ属やシダ植物などの今まで同定機会が少なかった植物の同定には苦労しました。しかし、分からない植物が多かったからこそ様々な環境の、様々な季節の植物に出会えました。この1年間の調査で植物の知識が増えたことを実感し、嬉しく思っています。

以上のように入社してからの1年間は、勉強になる非常に充実した1年間でした。2年目からは、1年目で学んだことを活かして信頼される環境調査員になれるよう技術を磨いていきたいと思っています。またそれだけではなく、報連相をきっちり行い、社内外を問わず積極的にコミュニケーションを取ることで、人と生きものをつなぐ仕事にもより貢献していきたいと思います。

(植物担当:志賀)

新年のごあいさつ

 明けましておめでとうございます
 新しい一年をつつがなくお迎えのこととお慶び申し上げます
 皆さまが健やかに心豊かな一年を過ごされることをお祈りします

 ご多分にもれず、年末はずいぶんとバタバタしておりました。その理由のひとつは、昨年に引き続き、一年のごあいさつにお配りする「旧暦棚田ごよみ」の編集作業です。今年は巻頭にあいさつ文を入れただけでなく、土壇場で欲を出していろいろ当社のカラーを盛り込んで頂きました。このために社内のみならず、制作もとの棚田ネットワーク様を巻き込んでの大変なドタバタでしたが、お陰様で、より当社らしいものができたと思います。

令和4年の旧暦棚田ごよみ

【旧暦棚田ごよみとは】
 すでにお手元に届いている方はご承知のとおりですが、「旧暦棚田ごよみ」は、その名の通り旧暦ベースという結構なキワモノです。どういうことかと言うと、旧正月(今年は2月1日)からスタートして、月の満ち欠けに従って月が改まるため、めくるタイミングが普通のカレンダーと異なります。また、年によっては「閏月(うるうづき)」があるほど一年の長さが違うので、立春前後の生まれの方は誕生日がない年や2回ある年があります(昨年、苦情を頂いて思い至りました)。このような感じで、もはやカレンダーとは呼べない代物かもしれません。

上段が旧暦、下段が現代の暦の日付
(令和4年版は2月1日スタート)

【旧暦という「今ではないいつか」】
 しかし考えてみると、6-7世紀頃に大陸から暦が伝わって以来、明治5年(西暦1872年)の改暦まで1,000年以上、日本人は月の暦で時を刻んできました(※1)。それがどうしたと言われそうですが、現状で誰も疑うこともなく絶対と思われている基準や価値観も、ちょっと時空を越えて俯瞰すると、それほど普遍的でなかった、と言うことはままありそうです。最近の話題で言えば、夫婦別姓然り、資本主義然りです。
 コロナ禍や気候変動を通じていま、これまで私たちが信じて疑わなかった世界の常識やルールが問われています。いたずらな懐古主義や先祖返りが現実的でないことは承知していますが、いま私たちが信じて依存している社会よりもずっと持続可能であった社会やルールから、学ぶべきことは少なくない気がしています。過去に限らず、「ここではないどこか」「今ではないいつか」へ思いを巡らすことが、私たちが直面しているさまざまな社会課題を解決する発想力を助けてくれるように思います。ちょっと大袈裟かもしれませんが、「旧暦棚田ごよみ」は、そんな祈りを皆さんと共有するためのささやかなツールのひとつと思っています。

【新年に向けた思いとごあいさつ】
 このように考えてみると、結局、しめくくりは昨年のごあいさつからあまり代わり映えがしないのですが、経済活動の主体として健全な企業であり続けることを第一としつつも、社会が直面している課題の解決に向けて、狭い世界の先入観から自由になって、私たちなりの取組を進めていきたいものだ、との思いを新たにする次第です。
 一企業の思いと力は微々たるものですが、同じ思いのさまざまな主体と手を携えていければ幸いです。改めまして、本年もどうぞよろしくお願いします。

(代表 高木圭子)

※1 日本の暦 第一章 暦の歴史(国立国会図書館)
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter1/s1.html

バーチャル昆虫採集 in 武蔵野中央公園

少し前のことになりますが、10/10(日)に、武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館が開催する小中学生を対象とした昆虫観察会の講師を務めました。「バーチャル」という名のとおり、ただ単に昆虫を採って観察するのではなく、「BIOME(バイオーム)」(https://biome.co.jp/)というアプリを使った新感覚イベントです。「BIOME」では、投稿した生きものの写真から種名を判定したり、同アプリ内のマップ上へ生きものの写真を表示させて誰でも閲覧できるようにしたりすることができます。

「BIOME」を使った生きものの種名判定の流れを簡単に説明します。下図のように、まずは投稿したい生きものの写真を撮影します。アプリを起動して、投稿したい生きものの写真を所定の場所から選択すると、「名前を決める」という画面が現われ、種名の「判定結果」が自動で出てきます。「判定結果」の中に該当種があればそれを選択して「名前を決める」ことができますが、該当種がない場合は種名を自分で調べて直接入力する必要があります。下図の例でいうと、ナミハンミョウ(左)のような特徴的な種は、種名の判定結果が正しく出やすいですが、ナガゴミムシ属(下図右)のような雄交尾器を見なければ種の識別が難しい種は、判定結果も正しく出てこない場合が多いようです。

昆虫の標本写真から種名を判定した様子
(左:ナミハンミョウ、右:ナガゴミムシ属の一種)


以上のような流れで種名を決定し「BIOME」へ投稿した生きものの写真は、通常GPS機能を持っているため、同アプリ内のマップ上へ表示させることもでき、誰でも閲覧可能となります。そのため、自分が気になった場所でどんな生きものがみられているか、ざっくりと知ることもできるかもしれません。

観察会で観察した生きものを「BIOME」のマップ上に表示した様子


本記事から脱線してしまうのであまり触れませんが、「BIOME」には上述のような機能のほかにも、「生きもの全種コンプリート」を目指したり、アプリ上の「生きものイベント」を楽しんだり、生きものにまつわる情報交換をしたりと、様々な使い方ができるようです。

以上のように「BIOME」は便利なアプリではありますが、野外に潜んでいる昆虫そのものを「探索」するような機能は当然ながら備わっていません。そのため、昆虫に出会うためには相も変わらず、昆虫の住んでいる原っぱや藪、林の中に足を踏み入れ、五感をフル回転しなければなりません。

スマホアプリを使ってしまうとどうしてもそればかりに集中しがちになってしまいますが、いざ昆虫を見つける時間になると、みんな一斉に草へ分け入り、網を振り回したり落ち葉をめくってみたりと、思い思いの方法で「探索」を楽しんでいる様子がうかがえ、生き生きとした表情が印象的でした。

観察会の様子


観察会でみられた昆虫
(左上:ウスバキトンボ;右上:セアカヒラタゴミムシ;左下:イチモンジセセリ;右下:ベニシジミ)


やはり「自然」と接するのが一番ですね。
我々ヒトもほかの生きものと同じ。「自然」なしには生きていけないということをしみじみと感じます。

みなさんもぜひ、「BIOME」をインストールしたスマホを片手に、近所の公園へ足を運んでみてはいかがでしょうか。きっと五感がフル回転されることでしょう。ただし、不審者と思われないよう、十分お気を付けください。

昆虫類担当:菅谷

認識力の外にある危機

今年も暑い暑い8月がやってきました。6日には広島、9日には長崎で、平和を祈る式典が行われ、15日には終戦記念日を迎えました。76年前に起こった惨劇を思うとき、人が人に対して加えたこれほど破滅的な加害に言葉を失い、「なぜ」と問わずにいられません。
振り返って客観的に見れば先の大戦は日本にとって、当初から勝てないことが明確であったといわれています(※1)。その意志決定のプロセスは、本質的な状況分析を避け、先送りと主体性の放棄とを繰り返しているようです。昨今の政治・外交・社会的な事象に対する日本の対応と重ねて見る向きもあるようです(※2)。
生きものは本来、自らを利するようにできていて、人も例外ではないというのが生きもの屋の基本的な考え方です。そうでない生きものは世代を重ねることができず、早晩滅びてしまうと考えられています。それなのに、なぜ人は時に、破滅を自ら選んでしまうのでしょうか。

 

集団自殺するレミング

人以外の生きもののなかにも、破滅的な行動をとるといわれる動物がいないわけではありません。有名なところで、北極圏周辺に生息するネズミの仲間であるレミングは、全体の個体数を調整するために崖から海に飛び降りるなどして「集団自殺する」と考えられていました(※3)。しかし実際には、自らの意志で飛び降りるわけではないというのが今日の見方です。周期的に大増殖と激減を繰り返すレミングは「タビネズミ」とも呼ばれ、大増殖の結果として生じる集団移動の過程で、渡河中に溺死したり、群集に押されて崖から海に落ちたりする個体が少なからずあって、そのように思われたのかもしれません。

 

飛んで火に入る夏の虫

もう少し身近な例では、夏の夜に野外で火を焚いていると火に飛びこんで死んでしまう虫がいます。これはある種の昆虫が持つ「走光性」という光に向かって飛ぶ性質のためです。なぜ光に向かって飛ぶかについては諸説ありますが、夜飛行する昆虫が月明かりを頼りにしていることと関係があるようです(※4)。進化の歴史の長さから言えば、人が野外で火を焚くようになったのはごくごく最近のことで、なんにせよ、光に向かって飛ぶ彼らは、近づくと焼け死んでしまうことに思い至らず、勢い飛びこんでしまうのでしょう。

 

直感で認識できない危機

このように、当事者より少し客観的、俯瞰的、長期的な視点に立てば明らかな破滅に、当事者になると突き進んでしまうことがあります。私たち人は、高度に知性的な生きものと自認しがちですが、案外と当事者になると視野が狭窄して、今ここにある短期的な利益やその場しのぎに飛びついてしまう点では、他の生きものとそう変わらないようにも思えます。戦争や世界的なパンデミックなど、直感的に認識する力を越えた問題に対して、ひとりひとりが合理的な対応をするのは、私たちが思う以上に難しいことなのかもしれません。

 

今ここにある人の危機

さて環境分野では、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が9日、7年ぶりとなる評価報告書を公表しました(※5)。もはや人が地球を温暖化させたことは疑う余地がないこと、国際社会が設定してきた気温上昇1.5℃以内を維持する目標が非常に困難であることなど、これまで以上に大きく踏み込んで切迫した危機を訴えています。温暖化が進めば、森林火災や熱波、干ばつ、洪水などの自然災害、感染症が増加し、水不足や飢餓によりすでに定員オーバーの地球が養える人口はさらに減り、それこそ戦争を含めた様々な悲劇が予測されます(※6)。

気温上昇シミュレーション

報告書に掲載された複数条件での気温上昇シミュレーションの結果(※7)

 

IPCCの報告は、合理的な状況分析により人が出した予測ですから、後世の人から見ればこれもまた「予見された危機」です。それなのに世界が一丸となってこの危機に対応できずにいるのは、人の生きものとしての限界と言ってしまえばそれまでかもしれません。しかし、そこは人が人たる所以であるところの知性と想像力、勇気を最大限発揮して、乗り越えていくことを目指していきたいものです。

(代表 高木 圭子)

※1 アジア・太平洋戦争と国共内戦(朝日新聞)
https://www.asahi.com/international/history/chapter07/

※2 説明なき「安全安心」には納得できない(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120695

※3 Lemming Suicide Myth Disney Film Faked Bogus Behavior(Alaska Department of Fish and Game)
http://www.adfg.alaska.gov/index.cfm?adfg=wildlifenews.view_article&articles_id=56

※4 虫はなぜ灯火に集まるのか?(兵庫県立人と自然の博物館)
https://www.hitohaku.jp/publication/newspaper/43/hm37-3.html

※5 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第I作業部会報告書(自然科学的根拠)の公表について(環境省)
http://www.env.go.jp/press/109850.html

※6 気候大変動が地球と人類に与えうる「12の脅威」(東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/334619

※7 AR6 Climate Change 2021:The Physical Science Basis(ICPP)
https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/

はけの小径で考えた「借りぐらし」

なかなか収束しないコロナ禍中、どのように休日をお過ごしでしょうか。遠出の叶わぬ旅好きの私は、最近は近所を散歩したりしています。つい先日も、都内の野川沿いを散策する道すがら、「はけの小径」に出会って、「はけ」まで遡って歩いたりしました(※1)。

 

はけの小径とアリエッティ

「はけ」というのは平野の段を分ける段丘の崖の面をいいます。見渡す限りの平地に見える武蔵野の台地ですが、長い距離を移動すると、突如として急斜面に出会うことが、間々あります。とりわけ河川の近くに、河川と平行に帯状に現れることが多いです。この急斜面の麓には綺麗な湧水(わきみず)が多いため、水道などなかった昔、それこそ有史以前から、人々の暮らしの舞台となり、遺跡が発掘さたりもする、ロマン溢れる場所なのです。「はけの小径」はこうした「はけ」に生じた湧水のひとつが、野川に注ぎ込む小さな流れに沿って整備された遊歩道です。この界隈は、スタジオジブリの代表作のひとつ「借りぐらしのアリエッティ」の舞台になっていることでも有名です。

アリエッティは家屋の床下に暮らす小人の少女で、家主から見つからないように、気付かれない程度に生活の糧を「借り」て暮らしています。物語では、アリエッティの暮らす屋敷にやってきた人間の少年とアリエッティの交流が、緑豊かな武蔵野を背景に鮮やかに描かれています(※2)。

はけの小径

はけの小径

アリエッティがやかんでこぎ出した水路

アリエッティがやかんでこぎ出した水路(※3)

 

「借りぐらし」は片利共生

個人的にこの「借りぐらし」という言葉がとても気に入っています。生態学の復習をしてみますと、生物の種間関係には、1)食う・食われるの関係、2)資源をめぐって争いが起きる競争関係、3)互いに関係を持ちつつ共存する共生関係などがあります。さらに3)の共生関係にはA)お互いに利のある「相利共生」、B)一方には利があるがもう一方には影響がない「片利共生」、C)一方には利があるがもう一方には損失がある「寄生」がある、と習いました。

「借りぐらし」は上記で言うところの「片利共生」にほかなりません。もちろん厳密に言うと家主は少し損をしているのですが、気づかない程度、あるいは「なんか変だけど・・・ま、いっか」という程度ならば、「片利共生」の範疇かなと思います。この「片利共生」という種間関係は、基本的には資源の奪い合いが原則に思える生態系において、とても平和的で寛大で、そして意外と普遍的な種間関係に思えます。自分が生きるためとはいえ、相手が明確に認識するほどの損害を与えてしまえば、排除の対象となります。しかしそれほどでもなければ、自然界では容認され、多様な生きものが同じ時空を共有して共存・共栄することができます。そうして多様な生き物で構成されることにより、様々なインパクトに対して緩衝効果、今風に言えばレジリエンスの高い、しなやかなシステムが実現していると思うのです。

 

人間も地球の「借りぐらし」

アリエッティの話にもどります。実をいうと最初は、彼らの暮らしは「借りぐらし」ではなく「貰いぐらし」ではないか?と思っていました。しかし、誰のものを貰うのか?貰ったらそれは自分のものなのか?と考えたとき、本来的には他者に属するものを「借りる」という言葉の「所有」の曖昧さが、とても大切に思えてきました。自然界にはそもそも「所有」という概念はなく、多様な生きものが時空も資源も共有しています。私たち人間だけが、空間や資源を「所有」して独占し、害のあるなし(あるいは大小)にかかわらず、多くの動植物を閉め出してきました。そのことで、生態系に対して無視できない損害をあたえる「寄生」になってしまえば、いずれ生態系の機能として、排除の機構が働くことでしょう。私たち人間も、本来的には地球の「借りぐらし」であるべきなんだと思います。

いま私たちに必要なことのひとつは、「所有する」という傲慢さを手放し、「借りる」という謙虚さを取り戻すことなのかもしれません。「はけ」のせせらぎを共有して共存するたくさんの生きものを眺めながら、改めて思った休日でした。

(代表 高木 圭子)

※1 はけの小径(中央線が好きだ。Web【公式】)
https://chuosuki.jp/activity/%E3%81%AF%E3%81%91%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%BE%84%EF%BC%88%E3%81%93%E3%81%BF%E3%81%A1%EF%BC%89/

※2 借りぐらしのアリエッティ(スタジオジブリ)
https://www.ghibli.jp/karigurashi/film_top.html

※3 スタジオジブリ作品一覧 借りぐらしのアリエッティ(2010)(スタジオジブリ)
https://www.ghibli.jp/works/karigurashi/

旅する生きもの屋

職業を選ぶ動機は人それぞれですが、私達生きもの屋のなかでは、日本中あちこち旅をして生きものを見に行きたい、というのが小さくない気がします。こんな狭い日本でも、生育・生息する生きものには地域性があるので、たくさんの生きものを見たいと思えば、自ずとこちらから出向く必要があります。事実、私達は日々、各地に出張に出て現地調査をしています。かくいう私も、若かりし日、この仕事を選んだのは日本各地で植物をみたいという思いが強くありました。

生きもの屋の経県値
以前、社員の「経県値(※1)」というのを調べたことがあります。これは、都道府県ごとにその経験を6段階(居住/宿泊/訪問/接地/通貨/未踏)で評価して合計値を出すもので、日本地図を塗り分けた「経県値マップ」も作成できます。これを、様々なキャリアの社員に出してもらいました。
経験値マップ上記は一例ですが、10年目くらいまではキャリアの長い技術者ほど「経県値」が高く、それ以降は日本地図がだいたい赤く塗られて横並び、という結果が得られました。10年もこの仕事をしていれば、ほとんど日本中を巡ることになるのが分かります。とはいえ、沖縄など、これまでほとんど当社の業務実績のない県も塗られていますので、仕事だけでなくプライベートでも皆、旅を楽しんでいるのでしょう。この業界以外の標準が分からないので、はっきりしたことは言えないのですが、概して生きもの屋は旅好きと思って間違いなさそうです。

自然との対話が生物技術者を育てる
最後に、社員が現場で撮ってきた絶景をご紹介します。自然がつくり出した、あるいは人と自然の関わりから生まれた景観に出会うなかで、私達は人と生きものとの在り方について考えを深めてきました。

御嶽

2014年に噴火した御嶽山の北側に位置する三ノ池。大自然の偉大さと人間の無力さを実感します。

棚田

長野県の棚田。ただただ「食べる」ために、重機もなしに人の手で築かれたことが感慨深いです。

暮れ

明け方や夕暮れ時の空、とくに春や秋のそれは刻々と姿を変え、それ自体が映像作品のようです。

焼石

紅葉の焼石岳。とてもアクセスのきつい焼石は山小屋も無人。撮影者は1人で泊まったそうです。

 

「北回帰線」で有名なアメリカの小説家ヘンリー・ミラーは旅について「目的地というのは決して場所ではなく、物事を新たな視点で見る方法である」という名言を残したそうです。たくさんの場所を訪れ、たくさんの自然や生きものを自分の目で見、自分の心で感じ、自分の頭で考えたことの集積、これこそが生物技術者としてのキャリアに厚みを持たせ、私達の最大の強みになっています。

(代表 高木圭子)

※1 経県値(都道府県市区町村/データと雑学で遊ぼう)
https://uub.jp/kkn/

2021年、変革と協働へ

明けましておめでとうございます。
健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
今年一年の皆さまのご多幸とご健勝をお祈り致します。

カモシカは意外とウシに近い仲間です

カモシカは意外とウシに近い仲間です

2020年、コロナ禍という試練
昨年2020年は、私たち人類にとって試練の年であった、と歴史に刻まれることでしょう。新型コロナウイルスの危機は、経済成長の限界や労働の搾取、富の偏在といった世界の歪みを顕在化させたと言われます。また、国連環境計画(UNEP)と国際畜産研究所(ILRI)が昨年まとめた報告書(※1)によれば、自然環境の劣化が、新型コロナウイルスのような人獣共通感染症の増加に拍車をかけており、私たち人類が今後も同様の脅威にさらされていくことは明らかです。
「脱成長」という言葉が聞かれるように、有限な地球の上で成長を前提とする経済活動はもはや限界にきています。そんな時代に事業を承継した身として、また生物多様性や自然環境の保全を掲げる一企業として、自らの進むべき道を模索した、私達にとってはそんな一年でした。

ヒトだけが健康な世界は成立しない
ところで、当社も会員である一般財団法人日本環境アセスメント協会(JEAS)の会報誌JEASニュースの最新号(※2)では、國學院大學の古沢広祐教授がアフターコロナ時代の展望について、寄稿してくださいました。印象的だったのは、「健康」という考え方を大幅に拡張した「ワンヘルス」「ワンワールド」という概念が紹介されたことです。人間と動物、それを取り巻く環境(生態系、生物多様性)は相互に繋がっていると考え、医学、獣医学、生物学、生態学などの分野横断的な取組によってそれらの包括的な健全性を担保しなければ、人間の健康もまた成り立たないという考え方です(※3)。
我々生きもの屋からすれば「そりゃそうだ」という内容なのですが、それが名前を持った概念として、さらにはアフターコロナの羅針盤として示されているのならば、歓迎しないわけにはいきません。

2021年、求められる変革と協働
このように、自然環境の劣化が現実問題として私たちの社会システムや生活・健康を脅かすに至り、私たちは待ったなしの変革を求められていると言えそうです。それは、事業活動の在り方然り、生物多様性保全の在り方然りです。とくに、生きもの屋を自負する私たちは少なくとも環境、生物多様性保全の分野で先陣を切る使命がありますし、異なる分野の同様の立場の方々との協働が必要です。
本質を見据え、先入観から自由になり、従来の事業活動や技術の枠にとらわれることなく、変化を恐れずに決断することで、2020年の試練を力に変えていけたら、そんなふうに思っています。

(代表 高木圭子)

※1 Unite human, animal and environmental health to prevent the next pandemic – UN Report(UNEP)
https://www.unenvironment.org/news-and-stories/press-release/unite-human-animal-and-environmental-health-prevent-next-pandemic-un

※2 JEAS News会報誌 最新号(日本環境アセスメント協会)
https://jeas.org/magazine1/

※3 「マンハッタン原則」の12の行動原則(地球・人間環境フォーラム)
https://www.gef.or.jp/globalnet202007/globalnet202007-14/

令和3年の新しいカレンダー

嵐のようだった2020年も気がつけば12月に入り、毎年各方面にお贈りしている当社のカレンダーが今年も刷り上がりました。と言っても今年は、昨年までと大きく趣向が変ったものになりました。
これまで当社のカレンダーは、出版社と共同で、それなりに力を入れて企画・制作していたものです。月ごとに、その道の写真家ならではの表情豊かな野生動植物の写真を、生きもの屋目線で選び、下半分はスケジュール等を書き込みやすいよう広めに覧を設けつつ、各地の紅葉や初雪の時期などを記入してあります。季節の移り変わりを実感しやすいところが好評で、楽しみにして下さっている方も多いと思います。しかし、代替わりに伴いその継続ができなくなりました。

【新しい体制にふさわしいカレンダーとは】
そもそも、スマホなどデジタルツールでのスケジュール管理が主流化しつつある昨今、依然として多くの会社が大量の資源やエネルギーを使って、需要を上回るカレンダーを競い合うように配る現状を思うと、いやしくも環境を冠する企業として、カレンダーを配ること自体の是非も気にかかります。さりとて、楽しみにして下さる方もいます。またいっぽう、コロナ禍により、これまでの価値観の多くが転換を迫られている状況もあります。
このような状況を踏まえ、新しい体制、新しい時代にふさわしいカレンダーとして、心に止まったのが、NPO法人棚田ネットワーク様が毎年販売されている「旧暦棚田ごよみ」でした(※1)。今回、棚田ネットワーク様のご厚意で、社名を入れて分けて頂くことができました。

カレンダー

【棚田も暦も、人と自然のつながりから生まれた】
このカレンダーは、旧暦表示を基本としていて、四季折々の棚田の風景と、月の満ち欠け、二十四節気、七十二候、雑節といった、昔ながらの日本の暦が記載されています。棚田の風景も、生きものが絡んだ旧来の暦も、日本人が自然とともに作り上げた文化の遺産であると言えます。人と生きものの架け橋を目指す当社にとって、これ以上のテーマがあるでしょうか。

【「スケジュール」から離れて時を刻む暦へ】
いっぽう、このカレンダーにはスケジュールを書き込むスペースがほとんどありません。さらに驚くべきことに、旧暦区切りでページが切り替わるので、現在の暦では月の途中でめくることになります。言ってみれば、ほとんどカレンダーの本来的機能を放棄したような仕様です。このため、お仕事のお供としては力不足を通り越し、失格と言わざるを得ません。
ただ、そういったカレンダーは多くの企業さんがよいものをたくさん配っているので、そちらを有効に活用していただき、このカレンダーはお仕事を離れてほっとひと息つくお時間のお供にしていただければと思います。たとえばお手洗いやご自宅の居間、寝室などに架けて頂ければな、と考えています。そういった時間にふと、季節の移ろいや生きものの暦に思いを馳せるお手伝いになれば本望です。
さらに言えば、日々の経済活動中心の暮らしから少し軸をずらして、自然や生きものの息吹、それらと共に暮らしを組み立ててきた私たちの祖先を思う時間を意識的に持つことは、いわゆるウィズコロナ、アフターコロナと言われる世界を、持続可能にするために有効であると信じています。
これまで当社のカレンダーをお仕事のお供に重用して下さった皆さまには、大変申し訳ない気持ちもありますが、どうか温かい気持ちでご笑覧ください。

(代表 高木圭子)

※1 令和三年旧暦棚田ごよみ(棚田ネットワーク)
https://tanada.or.jp/tanada_goyomi/

大島の椿油-生物多様性を多様なままに-

秋が深まってまいりました。感染対策の規制も少しずつ緩和され、旅好きが多い生きもの屋のはしくれである私も、そわそわと旅心が疼いてきて、先日伊豆大島に行って参りました。

【椿油のための椿園はない】
大島で有名なもののひとつに椿油があります。女性が髪のケアに使うイメージが強いですが、かつては主に食用だったそうです。大島の街中にひっそり佇む椿油の製油所にお邪魔しました(※1)。看板もなく大変入りにくい店構えなのですが、入ってみるととても気さくなご主人が出てきて、椿油の製法や歴史、美味しさなど、何から何まで時間をかけて説明して下さいました。
その中でとても意外だったのは、大島には椿油のための椿園というものはなく、伝統的に、島の人々が拾って製油所に売りに来る椿の実を使っていて、多くは耕作地の周囲に巡らせた椿の防風林の副産物だそうです。伝統的にそうであっても、商業ベースに載せるためにはどこかの段階で、ある程度安定的に生産できる圃場栽培に移行していくものですが、椿は植えてから立派な実をつけるまでに10年以上かかることもあり、そうした商業化には至らなかったようです。

椿油_製油所

製油所にならぶ圧搾機などは大正時代からのもの


【風土が伝統文化と特産物を育む】
さて、いやしくも植物屋の私には以前から疑問がありました。椿油の原料である「ヤブツバキ」はとくに伊豆諸島の固有種ではなく、常緑広葉樹林帯のことを「ヤブツバキクラス域」と呼ぶくらい、暖温帯ではありふれた植物で、東京のその辺の林でも見られます。なぜ大島だけが椿油の産地なのでしょう。お話にあった「椿の防風林」に大きなヒントがありました。椿がこうした目的で利用されてきたのは、もともと大島の厳しい風土に椿がよく育っていたからと思われます。確かに、東京で見る野生のヤブツバキはシイやカシなど常緑樹林のなかの低木として存在することが多く、花や実のつきは疎らです。いっぽう、大島も常緑樹の高木林が卓越していい気候帯ですが、実際には強い海風と、30-40年周期と言われる噴火による植生や土壌の攪乱のため、安定した常緑樹の高木林は限られていて、藪が多いです。そういった藪では文字通り、ヤブツバキの光沢のある葉が陽の光にさんさんと輝き、たくさん実をつけている様子が見られました。こうした大島独特の風土が「大島の椿油」というブランドの礎となっていのです。火山は人々を苦しめるだけでなく、他の土地にはないこうした賜物ももたらしてきたのです。

【椿油づくりに透ける持続可能性】
椿油が大島の人々の「暮らしの副産物」であったことはとても感慨深いです。かつて私達日本人は皆、暮らしの場に生じるたくさんの生物多様性の副産物をほとんど余すところなく利用して暮らしてきました。結果として生活の場には豊かな生物多様性がありました。しかし、いまでは生活に必要な食料も道具も、全てお金で手に入り、そういった恩恵をあてにすることもなくなりました。生活の場に入り込む動植物のほとんどは雑草雑木、害虫害獣とひとくくりに排除され、暮らしの場の生物多様性は失われました。
いっぽうで、お金で取引される製品やその原料の生産される農地もまた、単一の作物を効率よく生産することに特化して集約的に管理され、やはり生物多様性からかけ離れた空間となりがちです。たとえば、今では私達の生活のあらゆる場面で利用されるパーム油の生産現場では、生物多様性の高い熱帯雨林が切り拓かれ、見渡す限りのアブラヤシの農園に置き換わっています(※2)。
SDGsで世界の持続可能性が検討されるようになりましたが、経済のグローバル化は続き、大量生産と効率化が前提の議論が今も続くことに、なんとも言えない居心地の悪さを感じていました。持続可能な社会に必要なのは、防風林の副産物としての椿油のように、生物多様性を多様なままに利活用する技術や方法論の見直しではないのか。その思いに、椿油が背中を押してくれたように思いました。
製油所を見学したあと、三原山方面へのドライブの道すがら、道路際で椿の実を拾っている女性に会いました。「製油所にもっていくのですか?」と声をかけてみると「そうなの。今日は美味しいお寿司でも食べようと思って」と笑顔で返してくれました。かつて私たちの暮らしはこんなふうに、季節や時間や場所によって異なる様々な生物多様性の恵みを、少しずつ細やかに享受する生活であったと思います。

(代表 高木 圭子)

※1 椿油の高田製油所
http://www.tsubaki-abura.com/

※2 パーム油 私達の暮らしと熱帯雨林の破壊をつなぐもの(WWF)
https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/2484.html