春節と棚田カレンダー

 明日、2月10日は陰暦の始まりにあたる旧正月です。旧正月という言葉は最近では、お隣中国からの観光客が押し寄せる、インバウンド関連の言葉として思い浮かべる方も多いかと思いますが、当社がお配りしている「旧暦棚田ごよみ」も陰暦のお正月である2月10日がスタートです。お手元にお持ちの方は忘れずにめくっていただければと思います。
 本日はその旧暦棚田ごよみに掲載した随筆をお届けします。カレンダーを印刷・製本する時期に書いたものなので、少し季節外れではありますが、棚田への想いを少しでも共有いただければ嬉しいです。

【豊かさの意味】
 秋から冬にかけて、稲刈りが終わった後の里山の清々しさは格別です。季節がら、空気が澄んでくるだけでなく、夏の間に茂った夏草がさっぱりと刈り取られ、見た目にもすっきりするせいでしょうか。また早々に日が傾くので、日の当たり方、空や雲、風景全体の色彩が刻々と移り変わる様子を、そのつもりがなくても思いがけず体験できるのも、この時期ならではです。
  コロナ禍で大好きな棚田もあまり行けなかったのですが、2023年の秋は、広島県は井仁の棚田を訪れる機会に恵まれました。太田川に注ぐ支流に沿って狭い谷を山深く上がっていった先に、忽然と現れる秘境のような場所でした。重機もない時代に人の手で積み上げられた石積みが、地形に合わせて表情豊かな曲線を幾重にも描く様子をみると、なにか「生きる」ことの本質を問われるようです。

稲刈りが終わった井仁の棚

 
 棚田を擁するような中山間地の過疎化、空洞化はいまや危機的状況と言われます。しかし、実際に中山間地を訪れてみると、生きもの屋としていつも感じるのは、平地と山地が出会うこんな場所は、本当に生物多様性のポテンシャルに溢れた、豊かな場所だという実感です。それはただ生きものの種類が豊かということに止まりません。井仁の棚田は8ヘクタールほどですが、それだけの田んぼがあれば、数百人が一年間飢えずに暮らせます。野菜や雑穀のできる畑地、果樹もあり、周囲を囲む森林は建材や燃料を供給し、たんぱく源となる中~大型哺乳類の生息環境にもなります。それほどのポテンシャルがありながら、実際には利用されなくなって久しく、放棄された水田、収穫されないままにたわわな実を落とす果樹、管理の手がなく荒廃した森林が増えています。
  多くの人が、この生産力豊かな土地をあとにして、都市で生きていくためにお金を稼ぐことにまい進するようになりました。GDPで測る「豊かさ」では我が国は未だ世界第3位の経済大国だそうです。しかし、生活の糧を豊かに生み出す力のあった中山間地はあまねく荒廃し、そこで生きる知恵も急速に失われつつあります。本当に、私たちは豊かになったのでしょうか。自らが暮らす土地の恵みを充分に活かせることこそが生きるために必要な力であり、本当の豊かさではなかったか。棚田を訪れるたびにいつも、そんなことを思います。

(代表 高木圭子)


※本稿の一部は当社が一年のごあいさつにカレンダーに代えてお配りしている「旧暦棚田ごよみ」の2024年度版に掲載した代表あいさつより抜粋したものです。

2024年、移り行く世界のなかで

 晴れやかに新年のごあいさつをしたい年はじめではありますが、年明けから悲しいニュースが駆け巡っています。
 まずは、元旦に発生した令和6年能登半島地震で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

【氏神様へのごあいさつ】
 仕事始めにはオフィスからほど近い赤城神社さまにうかがい、社業繁栄の祈祷をお願いしてきました。特別信心深いわけではないのですが、日本古来の神様を祀っている神社を訪れると、「生きもの屋」として何か襟を正したくなる気持ちになるものです。西洋の神様は唯一絶対で、世界を創造し、全能ではっきりした戒律を持ちますが、日本の神様は慈悲深い女神様もあれば、ひどい狼藉者もいます。それが言ってみれば、豊かな恵みと抗いようのない災いの両方をもたらし、私たちの生命や暮らしを支配する「生物多様性」そのものに見えるからかもしれません。この生物多様性の恵みなくして私たちは生きられないという謙虚さを、神社の静謐な空間は思い出させてくれるように思います。「生かされている」という初心に立ち返り、清々しく一年を迎えることができました。

【移り変わる世界】
 年の初めにここ何年かの間のことを思い起こしてみると、世界は目まぐるしく、後戻りできない変化を遂げてきたように思われます。2020年から世界を揺さぶった新型コロナウイルス感染症が落ち着きつつある一方で、ウクライナやパレスチナから報じられるニュースには日々、私たち人間の残酷さや愚かさをいやというほど思い知らされます。ほかにも、激甚化する気象災害、戦争と軍拡、資本主義や民主主義の機能不全、格差と分断など、様々な災いや課題が次から次へと生じています。これらは私たちが日々向き合う「生物多様性」とは一見無関係なようで、実は全てが地続きであるように感じています。とはいうものの、しがない生きもの屋としてはできることは本当に限られていて即効性がなく、無力感もあります。

【答えを急がない力を活かす】
 さて、お正月の朝日新聞で、「ネガティブ・ケイパビリティ(答えを急がない力)」という概念が紹介されていました(※1)。簡単に(誰かが用意した、自分を傷つけない)結論に飛びついて思考停止することなく、曖昧な「もやもや」を抱え続ける不安や居心地の悪さに耐え、真実や最善を粘り強く追及していく力、これが現代の複雑化した社会課題の解決に不可欠である、という話でした。
 これにはちょっと意表を突かれた気がしました。「ケイパビリティ」(力・能力)と、何か強みのように紹介されていますが、言ってみればこれは「優柔不断」と紙一重ではありませんか。そして、この「すぐに決めない力」、これを力というのなら、生きもの屋の界隈にはこれが満ち満ちていて、ちっとも不足していないのです。技術者は総じて慎重で、簡単に物事を決めるということをしません。長く生きものや自然と向き合ってきた経験上、物事はそう簡単でないということをほとんど本能的に知っているからかもしれません。道理で、決まっていない気持ち悪さに対する耐性も大したものです(半分愚痴になっています)。
 結果に最短距離でコミットすることや、スピーディな判断・舵取りが求められるこの世の中で、こうした属性を弱みのように捉えていた自分に気づかされました。しかし、今こそ私たち生きもの屋の「すぐに決めない力」が必要で、そのことをまず私たち自身が強みとして自覚する必要があるように思いました。
 やはり、世界を揺さぶるような社会課題に対しても、生きもののスペシャリストとしてできることはあるはずだと思いたいです。起きていることに対してあまりにも無力であっても、そこは頑固にこだわって、今年も模索していきたいと思います。

 末筆ながら、皆さまの本年の変わらぬご健勝とご活躍をお祈りいたします。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

(代表 高木圭子)

※1 答えを急がない力 帚木蓬生さん、枝廣淳子さん(朝日新聞) https://www.asahi.com/articles/DA3S15829738.html

メクラチビゴミムシの新種を記載しました

日頃から取り組んでいるメクラチビゴミムシという昆虫の分類学的研究で、非常に大きな成果を挙げることができましたのでお知らせいたします。本研究成果は、2023年12月11日に、国際学術誌「Acta Entomologica Musei Nationalis Pragae」へオンライン掲載されました。オープンアクセスですのでどなたでもご覧になれます。

https://doi.org/10.37520/aemnp.2023.020

論文タイトル

本論文では、メクラチビゴミムシと呼ばれる地下に生息するコウチュウ目の昆虫の一種を新属新種として記載し、オキナワアシナガメクラチビゴミムシRyukyuaphaenops pulcherrimusと命名しました。本新種は、体長6 mm前後で、一見クモを思わせるような極端に伸長した脚と触角を備えた珍奇な姿が特徴です。発見された場所は沖縄本島の本部半島カルスト地域と呼ばれるエリアで、外気との接触が少ない深い縦穴の底の極めて湿潤な箇所に限って生息しています。

オキナワアシナガメクラチビゴミムシRyukyuaphaenops pulcherrimus
オキナワアシナガメクラチビゴミムシ Ryukyuaphaenops pulcherrimus


そもそもメクラチビゴミムシとは、コウチュウ目Coleopteraオサムシ科Carabidaeチビゴミムシ亜科Trechinaeチビゴミムシ族Trechiniのうち、地下生活へ特化したために複眼が極端に退化もしくは消失した昆虫を表す学術用語です(差別的な意図は一切ございません)。

日本には、北海道から九州にかけて21属380種以上(亜種含む)のメクラチビゴミムシが知られていますが、琉球列島からメクラチビゴミムシが発見されたのは今回が初めてです。

オキナワアシナガメクラチビゴミムシは、触角や脚が伸長したり、腹部が膨隆したり、体前半部が細長くなったりと、形態的な特殊化が著しいことから、日本国内で最も地下環境に特化した昆虫の一つと考えられます。本種のような地下に著しく特化した生物が琉球列島で発見されたことは、本列島の特色ある豊かな生物相が地上部だけでなく地下部にも存在していることの何よりの証拠であると考えられます。この発見を機に、今後琉球列島の各地から数多くのメクラチビゴミムシが発見されることが期待されます。

オキナワアシナガメクラチビゴミムシの系統や詳しい分類学的位置は、現状では日本を含め東アジアにおけるメクラチビゴミムシ類全体の分子系統学的研究が皆無のため不明です。しかし、形態的観察からは、九州や台湾といった琉球列島の近隣地域に分布する種ではなく、約1,700kmも離れた中国湖北省の長江流域にある洞窟に生息する種とよく似ていることから、大陸由来の系統である可能性が示唆されました。

オキナワアシナガメクラチビゴミムシは、東アジア地域におけるメクラチビゴミムシ類の進化の歴史を紐解くうえで、重要なカギを握っているのかもしれません。

※詳しくは以下でも解説しておりますので、ご興味のある方は是非ご覧になってください。
・SNS: https://twitter.com/trechinae0815/status/1734009936454230178
・国立科学博物館プレスリリース:
    https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000694.000047048.html

ところで、生物の新種記載にあたっては、対象となる生物の体を詳細に観察し、その形態的特徴を的確にとらえ記載するとともに、わかりやすく図示しなければなりません。今回取り扱った昆虫は新属ということもあり、ばらばらに解剖し、体の隅々まで慎重に観察しました。体長が6mm前後ですので、体のパーツは細かいものだと0.5mmほどになります。こうしたパーツひとつひとつを、顕微鏡で観察するとともに、カメラへおさめ、図示しました。

論文に用いた図版。写真撮影は、すべて当社の機材を用いている
(詳しくは論文のマテメソをご覧ください)。
論文に用いた図版。写真撮影は、すべて当社の機材を用いている
(詳しくは論文のマテメソをご覧ください)。

 

いつもの研究風景。今回の論文は環境指標生物のオフィスで育まれた。
いつもの研究風景。今回の論文は環境指標生物のオフィスで育まれた。


さて、オキナワアシナガメクラチビゴミムシの生息地である本部半島カルスト地域は、地形的に重要な地域であることが古くから知られています。しかし本種の発見によって、生物の生息地としても極めて重要な地域であることが確かめられました。この地は、地元の方々の決死の努力によって、幾度もの開発の手から守られてきた場所だと聞きます。この素晴らしい環境がこれからも末永く守られ、次世代へと受け継がれていくことを願わずにはいられません。

オキナワアシナガメクラチビゴミムシの生息地、本部半島カルスト地域。亜熱帯から熱帯地域に特徴的な円錐カルストが広がる世界最北端の地としても知られる。
オキナワアシナガメクラチビゴミムシの生息地、本部半島カルスト地域。亜熱帯から熱帯地域に特徴的な円錐カルストが広がる世界最北端の地としても知られる。


一般的にメクラチビゴミムシをはじめとした地下性生物は、地下の極限環境に特化しているため、原則として移動能力が低く、不透水層や断層といった地下の微妙な構造の違いなどによって容易に生殖隔離され、狭い地域でも種分化しやすいといわれています。そのため、生息地の一部の改変であっても、個体群レベルで悪影響を受ける恐れがあり、ひいては種としての存続も危ぶまれることが予想されます。ダム建設や石灰岩採掘による生息地の消滅、道路建設や森林伐採に伴う地下水の低下や分断による乾燥化が、これら地下性生物にどのような影響を与えているのか?生物多様性保全の重要性が叫ばれているこの時代、こうした課題にも真剣に取り組んでいかなければいけないのかもしれません。

昆虫類担当:菅谷

平和を目指す処方箋

  8月15日、78回目の終戦記念日を迎えました。新聞などで見る、戦災体験を語る人々の年齢も気がつけばかなり高齢になり、戦争の悲劇を肌がひりひりするような実感を伴って伝えていくことが今後ますます難しくなっていくことを感じます。一方で、ロシアのウクライナ侵攻以来、世界の安全保障の潮流が大きく変わり、長く平和主義を掲げてきた我が国もその例外でないことが気がかりです。

【都内の戦災構造物】
  あまり知られていませんが、私の地元、東大和市には「旧日立航空機株式会社変電所」という戦災構造物があります(※1)。

東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所
東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所


 東京の空襲というと都心部のイメージでしたが、この辺りは軍需工場があったため、先の大戦末期には空襲があり、従業員や動員された学生、周辺住民など多くが犠牲になり、壊滅的な被害を受けました。この変電所も、窓や扉は吹き飛び、外壁だけでなく屋内まで、機銃掃射や爆発物の破片により穴だらけになりました。
 それが今日まで保存され、現在周辺は公園として整備されています。無数の弾痕を生々しく残した機銃掃射のあったこの空間に、生身の人間も多数いたことを思うと鳥肌がたつようです。いっぽうで、四季折々の花が咲き、家族連れで賑わう公園の風景は平和そのものです。この強烈なコントラストは異様でもありますが、戦争もすれば平和も愛する、私たち人類の二面性の映し鏡のようにも感じられ、悲しくも愛しいような、何とも言えない気持ちになります。

【戦争は人類の宿命か】
  生きもの屋として戦争を考えるとき、進化生態学的に考えるともはやこれは、人類の宿命では、という考えに捕らわれることがあります。簡単に言うと「戦争が好きで得意な種族」と「平和を愛する種族」が鉢合わせて競合したとき、どちらがより多く子孫を残せるか?と考えると、おのずと前者に軍配があがり、後者は絶滅しそうです。結局は、現代に生を受けた私たちも皆、血塗られた種族の子孫。でも、本当にそうなのでしょうか。

【戦争のない20万年】
 人類学を紐解いてみるとしかし、狩猟採集生活をしていた20万年もの間、「戦争」と呼べるようなものはほとんどなかったというのが定説のようです(※2)。考えてみれば狩猟採集生活では食糧も人口も密度が低いので、群れ同士が鉢合わせる機会も少なかったでしょうし、「戦争」を組織的に行うほど群れの規模が大きくなかったということ、誰もが定住しないその日暮らしでは襲撃のリスクを犯してまで奪うほどの物もなかったなど、その理由はいろいろな面から考えて合理的です。要するに戦争をするほどの余裕がなかったというのが実際のところかもしれません。

【農耕文化と戦争の因縁】
 それが約1万年前、農耕が始まると劇的に状況が変わりました。食糧には土地に資源や労働を投資した対価としての意義が生まれ、土地や収穫物に対してそれまでなかった「所有」の概念が生まれました。富の集積と共同体の肥大(群れ→村→国家)が起き、階級が生まれ、身分格差が生じました。共同体が肥大すれば更なる土地が必要になり、周囲の別の所有者から奪うほかなくなりますし、富や権力に魅了された者が覇権を求めて戦争を繰り返したのは理解できます。
 とはいえ、20万年以上の歴史を持つ人類が戦争を始めたのが直近の1万年というのは、少し意外でもありました。個人的には、もっと本能的な、根源的な衝動のようなものが戦争に関わっているような印象を持っていたのです。

【非互酬性と利他行動】
 ところで、共同体のなかに目を向けると、類人猿と分かれた祖先の頃から、「非互酬的」な関係、つまり見返りを期待せずに何かを与えたり助け合ったりという「利他行動」が成立する関係が発達したと言われています(※3)。多くの動物でも、親子や血縁者においてはこうした関係は一般的ですが、それ以外を対象とした非互酬性はあまりみられません。私たちの祖先は家族が複数集まった共同体(群れ)単位で助け合って暮らしてきました。共同体の中にも血縁者がある程度いれば、こうした無償の利他行動は適応的になる(生存や繁殖の成功確率を増大させる)可能性があるようです。この特性は狩猟採集生活の頃には、「仲間のために危険な狩りに赴く勇気」といった形でも発揮されていたかもしれません。
 このような、言ってみれば愛情深い性質は、農耕文化でも維持されました。しかし「共同体のために戦地に赴く」というように、共同体間では残念ながら、平和よりは戦争に向けて発揮されてきたのかもしれません。

【戦争の利害と対立軸】
 さて、戦争で得をするのは多くの場合、支配者階級や、今日では軍需産業など一部のセクターの資本家に限られていて、状況をコントロールするのもそうした層です。一方で、戦争のコストを払うのは、いつの日も圧倒的多数を占める民衆です。よく言われるように、実際に死線をかいくぐるような戦地に赴くのも、住居や耕作地を追われ、大切な労働力を奪われ、略奪に遭い、家族を失うのも、多くは為政者や資本家ではなく、民衆です(※4)。人類が助け合って生きるために培ってきた普遍的な性質である非互酬性、利他性が、一握りの人たちの利益のために、「国家のため」「亡き同胞のため」といった巧みなプロパガンダなどを通じて利用されてきたとしたら、悲しいことです。
 そうしてみると、「ウクライナに支援を」「ロシアに制裁を」というように、戦争が「国家対国家」の文脈で語られることに慣れきっている私たちですが、「権力対民衆」という別の、隠された対立軸が意識されてきます。

【平和主義と民主主義】
 このような利害や、人類が戦争をするようになった経緯を考えてみると、権力は戦争に向かっていくもの、というのは残念ながら普遍的な傾向に思われてきます。では、平和のために私たちはどうすればよいのでしょうか。
 意外なことに、その処方箋は戦後すぐに示されていました。日本国憲法の前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(中略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあります(※5)。戦争を起こさないためにも主権が国民にあることが大切なことがわかります。また、第三章第十二条には「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあり、自由と権利、その先の平和のための、国民自体の努力を求めています。
 要は私たちのひとりひとりの政治参加なくして、平和は守れないということは、70年以上前から分かっていたのです。省みて自分はその努力を惜しまなかったか。傷だらけの変電所に問われているような気がした、78年目の終戦記念日でした。

(代表 高木圭子)

※1 戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所(東大和市)
https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/museum/1006099/1006102.html
※2 ヒトはなぜ争うのか 進化と遺伝子から考える(若原正己、新日本出版社)
https://www.shinnihon-net.co.jp/general/product/9784406059626
※3 NHKブックス No.1099 暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る(山際寿一、NHK出版)
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000910992007.html
※4 平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和(松元雅和、中央公論新社)
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/03/102207.html
※5 日本国憲法(衆議院)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

形を変えて適応する水田雑草、キクモ

 梅雨が明け、夏も本番になると、棚田のような田んぼでは稲だけではなく、水田雑草も育ってきます。田んぼは、水が張られている状態もあれば、中干しや落水による乾燥もあるため、植物にとっては特殊な環境です。水田雑草はどのようにして田んぼに適応しているのでしょうか。水田雑草の1つ、キクモを例にご紹介します。

気中葉を広げたキクモ
気中葉を広げたキクモ

 キクモは、田んぼが乾燥しているときは、葉の幅が広い「気中葉」をつけますが、水が張られて水中に沈んだ部分は、葉の幅が狭い「沈水葉」をつけます。気中葉は、葉を乾燥から守る表皮のクチクラ層が発達し、空気中でガス交換をするための気孔が分化しています。一方、沈水葉は、表皮のクチクラ層が発達せず、葉肉細胞も数層しかなく、気孔も分化していません。これにより表皮細胞を通じた水中でのガス交換を容易にし、薄い葉で弱光を効率よく利用しています。このように同じ植物体でありながら、空気中と水中で形や構造の違う葉をうまく使い分けることで適応しているのです。

 しかし、キクモなどの水田雑草は乾田化などにより絶滅が危惧されている地域も多数あるのが現状です。伝統的な田んぼの環境に適応した水田雑草は、こうした田んぼがなくなってしまうと生育場所がなくなってしまいます。さまざまな生き物の生活の場でもある棚田のような田んぼがこれからも維持されることを願うばかりです。

(植物担当:志賀)

※本稿は認定NPO法人棚田ネットワーク様の会報誌「棚田に吹く風」(https://tanada.or.jp/tanadanetwork/backnumber/)に連載しているコラム「生きもの屋の里山考」に寄稿した内容です。(第128号、2023年夏号)

新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます
旧年中の格別のご厚情に深く感謝致しますとともに
皆さまのご健康とご繁栄をお祈りいたします
本年もどうぞよろしくお願いします

【旧暦棚田ごよみ】
 これを書いているのは年の瀬で、一年のごあいさつにお配りする「旧暦棚田ごよみ」の発送作業がひと息ついてほっとしているところです。カレンダー代わりにお配りするようになって3年目の今年は、旧暦は「閏月」を含めた13ヶ月となっています。現代の暦に慣れた私たちからすると、平年にも増して摩訶不思議な暦となっていますが、そこも楽しんでいただければ幸いです。
 この「旧暦棚田ごよみ」は一部の方には大変評判がよく、そのコンセプトやデザインをお褒めいただくことも多いです。しかし実際のところ企画・制作は当社も法人会員となっているNPO法人棚田ネットワーク様によるもので、当社はそのフンドシをお借りしているまでです。とはいえ、私もまたこの旧暦棚田ごよみの熱狂的なファンのひとりで、多くの方に知って貰いたいという思いがあります。当社版と若干異なりますがオリジナル版は棚田ネットワーク様のウェブサイトよりご購入いただくこともできますので、興味のある方はぜひお試しください(※1)。

【完新世という時代】
 当社版には代表の巻頭言を掲載していますが、今年は社内での出来事から時空を飛び越えるような突飛な展開があり、面食らった方もいるかもしれません。そんなふうに思考が飛躍したのは、白状すると最近読んだ本「縄文人の植物と食べ物~縄文人は幸せだったか~」(※2)の影響です。昨今、ユートピアのようにもてはやされる縄文時代、縄文人は本当に幸せだったのかどうか、という野心的な副題に引き寄せられて手にとりました。
 本書の前段では前提のお話として、地球の歴史としての考古地理学的な気候の変遷が整理されています。こういった壮大な話は、これまでも何度か聞いてきたようには思うものの、改めて聞かされるとそのスケールの大きさに圧倒されます。直近のお話だけかい摘まむと、現代を含む温暖な完新世、これが人類や現在の世界の生態系を繁栄させた時代ですが、1万年ほど続いていると言われます。そのひとつ前の更新世と呼ばれる250万年もの間は、断続的とはいえ概ね氷河期でした。完新世に対する更新世の長さもさることながら、これが45億年といわれる地球の歴史の直近250万年程度の話なのですから、現在の地球の状態がいかにうたかたの奇跡であるかを実感せずにはいられませんでした。

【縄文人は幸せだったか】
 それにしても副題の「幸せだったか」というのは実に難しい問いです。実際本書を読むと、縄文時代を生き抜く、つまり餓死も凍死もしないように食料と燃料を途切れることなく調達し続け、そのなかでさらに子ども達を複数育て上げるには、現代とは比べものにならないくらいの労と生きる技術が必要であったことが分かります。当然、どこかで失敗して潰える生命も多く、むしろそれが日常であったかもしれません。
 しかし、「幸せだったか」という問いに立ち返ると、幸せかどうかは「認識」の問題であることに思い至ります。もちろん、私たちが突然、身体ひとつで縄文時代に降り立ったとすれば、とても生き抜けない、つまり不幸になるでしょう。しかしそのような世界を、それしか知らない人たちがどのように認識していたかというのは難しい問題です。ただ、縄文時代にも気候変動はあり、平均気温の上昇・下降に応じて人口もドラスティックに増減していたようです。だとすれば、人口が上昇する時期は幸福が多く、人口が減少する時期は様々な不幸があったことは想像できます。

【21世紀人は、22世紀人は幸せだったか】
 現代に目を移してみると、過去一世紀の間に私たち人類は爆発的といっていいほど増加しました。それは人類にとって過去何百万年も経験したことのない狂気のような幸福だったのかもしれません。しかし、2019年の国連の報告書(※3)によると、世界人口は2100年頃、110億人で頭打ちになると予測されています。頭打ち後の22世紀を生きるであろう子ども達の世を不幸にしないために、私たち21世紀人の叡智がためされているように思います。

(代表 高木圭子)

※1 令和五年旧暦棚田ごよみ(棚田ネットワーク)
https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/

※2 縄文人の植物と食べ物: 縄文人は幸せだったか(アマゾン)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%A4%8D%E7%89%A9%E3%81%A8%E9%A3%9F%E3%81%B9%E7%89%A9-%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B-MyISBN-%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B0%E7%A4%BE-%E6%A8%BD%E6%9C%AC-%E5%8B%B2/dp/4815029725

※3 世界人口の増大が鈍化、2050年に97億人に達した後、 2100年頃に110億人で頭打ちか(国債連合広報センター)
https://www.unic.or.jp/news_press/info/33789/

新米調査員の沖縄研修

 朝晩はめっきり寒くなり、冬の始まりを感じる頃となりました。この時期は両生類も爬虫類も見かけることが少なくなり、フィールドで少々寂しい気持ちにもなります。
 そんな本土の寒さとは無縁な沖縄県で、先月、日本爬虫両生類学会が開催されました。日本の爬虫類や両生類に関する最新の研究内容が聞ける折角の機会ですし、私自身が発表のお誘いを頂いたこと、加えて沖縄県ならまだ両生類や爬虫類に出会えるだろうと考え、沖縄県まで行ってまいりました。今回は学会にかこつけて向かった沖縄遠征の模様と、日本爬虫両生類学会での感想を紹介したいと思います。

<沖縄遠征の成果は如何に> 
 遠征先として、友人からイボイモリがいたと聞いていた沖縄県本部半島に向かいました。私は沖縄遠征の経験があまり無く、目当てのイボイモリが見つからなくとも、本州で見られない南西諸島の種なら何でも嬉しいと、レンタカーで意気揚々と向かったのですが、 結果は全然見つかりませんでした。イボイモリどころか両生類と爬虫類どちらもほぼ見つからず、暗い森の中を懐中電灯片手に散歩するのみ。学会のスライド準備に時間がかかり、適当に当たりをつけて調査地を選んだことが良くなかったと思います。探索の最後には、辛うじてオキナワアオガエルと出会えましたが、現地調査前の下準備の重要性を強く実感する遠征となりました。

写真1 唯一出会えた両生類のオキナワアオガエル
6㎝ほどの立派な体に鮮やかな体色で目が覚めました。
写真1  唯一出会えた両生類のオキナワアオガエル
6cmほどの立派な体に鮮やかな体色で目が覚めました

<本命の学会での感想>
 遠征は残念な結果でしたが、翌日からは気を取り直して学会に参加しました。学生や研究者の方々がこれまでの研究成果を口頭やポスターで発表していくのですが、口頭発表は3会場で同時に進んでいくため、面白そうな発表が同時に行われていると、どれを聴きに行くか決めなくてはなりません。出来ることなら分身してすべて聞きたいところですが、この葛藤も学会参加の醍醐味であると思っています。新種の可能性や、新たに明らかにされた行動や生態、外見や鳴き声の違いなど興味深い発表を聴いて、純粋に面白いと感じるとともに、業務を行う上で、種を判断するための形態や鳴き声に関する知見は重要な情報でもあります。発表された新しい知見や手法をこれからの業務に活かせないか考えていると、あっという間に時間が過ぎていました。
 また、私自身も企画集会で学生時代の研究について手法を主に発表させて頂きました。人前に立っての発表は久々でしたのでとても緊張しましたが、無事に発表することができました。

写真2 会場になった琉球大学入口に掲げられていた看板
話を聞くのに集中して、会場の様子を取り忘れてしまいました。

 つい先日には、この沖縄大会で新種の可能性があると発表されていたヒメタゴガエルが新種として記載され、業務で見つけた際に見分けなければならない種がまた1種追加されました。両生類・爬虫類の分野は毎年続々と新種や新たな発見が報告されていて、新しい情報に追いつくだけでも大変ではあります。ですがその分とても面白く、勉強しがいのある分野でもあります。入社して1年、まだまだ勉強不足ではありますが、生物調査の専門家として一人前になれるようこれからも情報を日々更新していきたいと思います。

(両生類・爬虫類、哺乳類担当:勢井慎太郎)

分断に抗う

 8月に入ると、私たち日本人は否が応でも戦争について考えさせられるものです。それが、隣国ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにした今年ならば尚更に思われます。
 戦争を知らずに生まれ育った私は、そうは言ってもこれまでは結局、自分を取り巻く世界ができるまでの「歴史」としてしか「戦争」を認識してこなかったのかもしれません。しかしそれが、私たち人の「現在進行形の業」として一部終止を見せつけられた戦慄を、どう表現したらいいのかわかりません。考えてみればそれは、世界のどこかでは途切れることなく続いてきたというのに、不誠実な無関心があったことは否めません。今世紀に入ってから始まったものだけでもWikipediaには32件の戦争がリストアップされ、そのうち12件が現在も継続しているとされています(※2)

ひまわり画像
ウクライナのイメージが強いひまわりですが、ロシアも主要生産国です(※1)
 どちらの国にも等しく、私たちと同じ生活者があることを忘れたくないものです。
ウクライナのイメージが強いひまわりですが、ロシアも主要生産国です(※1)
どちらの国にも等しく、私たちと同じ生活者があることを忘れたくないものです。

【なぜ人は戦争をやめられないのか】
 犯人捜しや非難の応酬に陥ることなくこの問いを突き詰めてみると、それは「なぜ人は環境破壊をやめられないのか」と同じところに根ざしているように思えます。本来大多数は、平和と幸福、周囲との協調、子ども達の繁栄を願う素朴な生活者であるはずの私たちが、善意をもって真摯に取り組んだことであっても、それが巡り巡って他の誰か、あるいは私たち自身の首を絞めていることがあります。
 例えば、日本の年金資産を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、ロシアも使用したというクラスター爆弾を製造する企業に投資していたというニュースは、まだ記憶に新しいところです(※3)。家族や将来のためにひたむきに働いて積み立てた年金が、世界のどこかで爆弾の開発・製造を支える資金になっていました。また、あらゆる電子機器に使用されるレアメタルの産地であるコンゴ(※4)、高品質の綿花を産する新疆ウイグル自治区(※5)など、私たちの暮らしを支える身近な資源、その産地を舞台にした紛争や人権問題は、世界中で枚挙にいとまがありません。環境問題にしても同じで、私たちが職務を果たすなかで消費する紙のために、世界中の木材が切り出されたり、当たり前の清潔や食生活を支えるパーム油の大量生産が、熱帯雨林を消滅させていたりします。
 グローバル化とセクターの細分化により、全貌が見えない巨大な歯車の集合体となった社会システムのなかで、しのぎを削らされているうちに、いつの間にか戦争や環境破壊に加担させられている現実があります。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」というくらい回りくどい因果関係だったり、地球の裏側のような遠い場所で起きていたり、何年も経ってから影響が出たりするので、日常的に意識するのがとても困難です。また、こうした私たちの日常の加害性に思い当たったとして、それを今きっぱりとやめてしまうには、私たちの暮らしはこの巨大な社会システムへの依存度が高すぎます。電子機器や紙、パーム油を消費することも、年金を納めることも、自分ひとりの意志ですぐにやめることはもはや、社会の一員として許されないのが現実です。これはもう社会の仕組としての業としか言いようがありません。

【社会システムという魔物、分断という呪縛】
 近代以降も含めた歴史が示してきたように、人が作り上げた社会システムというものは、絶えず改善を要するものであり、今もまだその途上であることは疑いようもありません。しかし、不完全なままに極限まで肥大した現代の社会システムは、もはやそれ自体が生きもののように振る舞って誰の意志通りでもなくなり、被害者だけでなく加害者までもが絡め取られて自由を失っているように感じます。この社会システムの肥大は、その構成員としての個の力を相対的に矮小化するに留まらず、あらゆる局面における「分断」により、さらに無力化させてしまいます。
 元来、人は協力し、力を合わせて社会を築いてきました。しかし現代の社会システムは、「切磋琢磨」と言えば耳あたりがいいですが、実際には互いにしのぎを削り、パイを奪い合うようにできています。分断は人を孤立させ、無力感と不安がさらに分断と対立を加速させます。核家族化、地域社会の空洞化、地方と都市、格差社会、全てが分断の要因であり結果でもあります。この強いられた分断こそが私たちひとりひとりの協調・連携する力を奪い、利害の調整を放棄させ、盲従することによって社会システムの暴走を許しているように思われます。

【頑固なまでに「協調」を武器に】
 このように考えてみると、問題は根深く、強いられた分断のなかで私たちができることは限られているようにも思われます。しかし、私たちはこれからも、この分断に抗い、その垣根を越えて、あらゆる主体との協調と連携によって課題を解決していくことに、頑固に拘っていきたいと考えます。これまではそれが、激動の時代の荒波に飲まれないためのひとつの重要な戦略と考えてきました。しかし、ウクライナ侵攻と、それを契機に世界を席巻する不穏な渦を目の当たりにした今では、協調と連携こそが、この渦に逆らい、協調が協調を呼ぶ連鎖によって、巡り巡って環境保全や反戦にも繋げていける行動原理であると信じています。

(代表 高木圭子)

※1 サンフラワーシード(ヒマワリの種)の産地・生産量ランキング【世界】(食品データ館)
https://urahyoji.com/crops-sunflower-seed-w/

※2 戦争一覧(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7

※3 年金運用のGPIFがクラスター弾製造企業に投資 ロシアも使用した非人道的兵器(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/168793

※4 ノーベル平和賞が問いかける紛争鉱物と日本の関係 コンゴの人権危機と日本の消費者とのつながりを研究する(東京大学)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0508_00037.htm

※5 特集 新疆公安ファイル(毎日新聞)
https://mainichi.jp/xinjiangpolicefiles/

“ミクロワールド”へのいざない

 春も深まり、暖かい日々もだんだん増えてきました。今年の厳冬期は都心での降雪も多く、雪国の北海道などですら、大雪による影響を受けるなど、例年にない大変な季節であったのではないでしょうか。そんな中でも、生きものはこの季節の変化で徐々に冬眠から目覚めたり、活発に活動し始めたりと最盛期にむけ動く時期になりました。それに並行して、みなさんも、重い腰を上げながら外へ出る機会が多くなることでしょう。
 今回は、そんなみなさんに、身近でも見つかるかもしれない注目してほしい「小さな水辺の生きもの」を紹介したいと思います。

<みなさんイメージにある”水生昆虫”は?>
 まず、みなさんはゲンゴロウやアメンボなどの水に棲む昆虫、いわゆる「水生昆虫」をご存知でしょうか。よく、私たちの祖父母や父母の世代で田んぼや池などの水辺が身近にあった人たちには、「昔はよく田んぼなどでみたよ」や「飼ったりしたよ」などという人が多いのではと思います。確かに、これらの水生昆虫は、昔とは異なり最近は人間活動による開発や水辺環境の悪化などにより、日本でも見ることができる地域が少なくなってきました。
 しかし、皆さんのイメージしているゲンゴロウやアメンボ、タガメなどは以下の写真のような、大きなものではないでしょうか?

写真1  みなさんのイメージにあると思われる水生昆虫【ゲンゴロウ(左上)・タガメ(右上)・アメンボ(オオアメンボ、下)】
写真1  みなさんのイメージにあると思われる水生昆虫【ゲンゴロウ(左上)・タガメ(右上)・アメンボ(オオアメンボ、下)】

<水辺に棲む水生昆虫の意外な姿>
 実は、こういった“大きな”水生昆虫は日本でも一部の種に限られているのです。
 「じゃあ、私たちがイメージしている水生昆虫ではなく、大半の“水生昆虫”はどのくらいの大きさなの?」と言われると…

写真2 サイズイメージ (指に乗っているのはコウチュウの仲間、チュウブホソガムシ)
写真2 サイズイメージ (指に乗っているのはコウチュウの仲間、チュウブホソガムシ)

 お判りでしょうか?わかりやすく皆さんが分かるように中指に乗せた写真をお見せしています。ぜひご自分の指から想像してみてください。
 水生昆虫(細かくはコウチュウやカメムシの仲間を中心とした、一生を水に依存する真水生昆虫類)は、大部分の種がこのくらいのサイズなのです。いやー小さいですね(笑)。「眼を凝らしてもわからないよ!笑」と言われるかもしれませんが、何を言われようともこのサイズが大半なので、仕方がありません…

<身近な水辺を覗いてみよう!>
 さて、それでは早速今回このブログのことを頭の片隅において、近くの田んぼや公園の池、川の岸際などに出向きましょう。心落ち着けてよく観察してみてください。すると…

写真3 小さな水生昆虫たちの一部【コツブゲンゴロウ(約4㎜)、チビゲンゴロウ(約2㎜)、ナガレカタビロアメンボ(約2.5㎜)、ヘラコチビミズムシ(約2㎜)】
写真3 小さな水生昆虫たちの一部【コツブゲンゴロウ(約4㎜)、チビゲンゴロウ(約2㎜)、ナガレカタビロアメンボ(約2.5㎜)、ヘラコチビミズムシ(約2㎜)

 こんな感じの水生昆虫の、大小さまざまな仲間が観察できてくると思います。先ほど日本でも見ることが少なくなってきたと書きましたが、実は目を凝らすとこれらの種は意外にも都会の水辺や学校の清掃前のプールetc…と身近にいることが多いです。また、大きな水生昆虫よりも色も形も多様であり、見ていて飽きることはないと思います(私見)。

写真4 川で水生昆虫を凝視する著者(ちなみに専門は淡水魚類)
写真4 川で水生昆虫を凝視する著者(ちなみに専門は淡水魚類)

 探すのはこんな感じで肩が凝りやすいですが、目が慣れるとすぐ見つかるようになります。ぜひ皆さんも2022年はこの小さな世界、“ミクロワールド”に注目してみてください!これからの行楽シーズンでお出かけの際は、お散歩ついでにそっと近くの水辺をのぞいてみてはいかがでしょうか。
 今回はほんの一部しか紹介していませんが、水生昆虫の探し方のコツや観察の注意などは以下などを参考にしていただくとよいと思います。

・中島 淳、タガメとゲンゴロウだけじゃない! 超保存版・水生昆虫との出会い方、調べ方
https://buna.info/article/3844/

 このブログをきっかけにみなさんの新たな発見につながることを祈念します。

(小動物・水生生物担当 内田大貴)

入社1年目を振り返って

2021年4月に新卒で入社した、植物の技術者1年目の志賀です。先日は雪の中、ヤマネの調査の応援に行ったのですが、植物屋の私は降雪のフィールドに出ることがあまりなかったのでとても新鮮で、冬季は常緑樹が見つけやすいので、ついつい夢中になって観察してしまいました。今回はそのような私が入社1年目を振り返って感じたことをご紹介します。

調査風景

環境指標生物に入社してからは、大変ではありながらも私が大好きな植物に関わることができた、充実した1年間だと思います。その中でも入社して良かったと思うことは大きく2つあります。

まず1つ目は、現場での実践的な技術を身につけられたことです。入社1年目で担当した植物相調査や毎木調査、移植作業などはいずれも、学生時代にはあまり経験したことがないものでした。しかし、実際に経験することで現場での実践的な技術が身につけられたと思います。特に印象的なのは、あまり経験がなかった植生図の作成に関する技術です。植生図とは植物群落単位で植生の拡がりや分布を示した地図のことで、どの植物群落がどこにあるのか調査し、その境界を線引きすることで作図します。これまでは地表から見ていた植物群落の違いや広がりを、航空写真から読み取る技術を修得しました。ただ写真の色や形といった見た目だけを見ているうちはとても難解でしたが、その場所の地形や気候、地質や土地利用の履歴などを総合的に検討して植生を決めることを先輩方から教わり、より明確に植物群落が見えてきました。このように様々な実践的な技術が身につき、植物調査技術者としての成長を実感することができました。

次に2つ目は、多くの植物種に出会えたことです。入社してから、北は岩手県、山形県から南は京都府まで、12都府県で調査に携わりました。また場所によっては1年間を通して調査することもありました。このように地理的にも季節的にも広い範囲をカバーする必要があったため、様々な植物が観察できて楽しいと思う反面、今までの知識では同定できない植物種が多く、自分の知識不足に対して悔しい思いをすることが多々ありました。特にスゲ属やシダ植物などの今まで同定機会が少なかった植物の同定には苦労しました。しかし、分からない植物が多かったからこそ様々な環境の、様々な季節の植物に出会えました。この1年間の調査で植物の知識が増えたことを実感し、嬉しく思っています。

以上のように入社してからの1年間は、勉強になる非常に充実した1年間でした。2年目からは、1年目で学んだことを活かして信頼される環境調査員になれるよう技術を磨いていきたいと思っています。またそれだけではなく、報連相をきっちり行い、社内外を問わず積極的にコミュニケーションを取ることで、人と生きものをつなぐ仕事にもより貢献していきたいと思います。

(植物担当:志賀)