祈りを継ぐ

【平和塔公園の女神像】
 皆さんの近隣に、由来のわからない像などはありませんか。私の地元、東村山にも、市役所近くに「平和塔公園」というのがあり、小高い丘の上に西洋風の美しい女性の銅像が建っています。鳩を携えた姿、公園の名前からこれは平和を祈念して作られたのであろうことは分かります。

平和の女神像
平和の女神像

 丘の麓には案内板があり、この像が乗っている小高い丘が「境塚」という江戸時代の境界標で、市の史跡に指定されていることが記されています。しかし、像についてはあまり説明がなく「平和の女神像」と呼ばれていること、昭和36年に建立されたことだけが辛うじて分かります。公園の名前は「平和塔」なのに、案内板は江戸時代の史跡の解説に終始している。その食い違いに、私は妙な落ち着かなさを覚えました。

【込められた「思い」を探るか】
 いったいどういった経緯で、誰がこのような銅像を建てたのでしょうか。ネット上にはほとんど情報がなかったので、市立図書館で調べてみることにしました。古い町報などをめくってみると、少しずつ像の背景が見えてきました。当時の町長が発起人代表となり、戦没者遺族会の意向を受け、住民に寄付を呼びかけたこと。敷地は私有地だったものの、公園整備のために寄附されたこと。台座には戦没者の名簿がはめ込まれており、像は彫刻家・津上昌平氏の手によることなど(※1~3)。それでも、なぜこの形、この場所だったのかは、最後まで謎として残りました。
 ただ、考えてみると、こういった慰霊碑、慰霊塔の類は全国各地でよく見るような気がします。とくに市役所や公園など公共の敷地や神社仏閣などの宗教施設でよく見かけます。2018-19年度に実施された厚生労働省の実態調査によると、戦後、国内に建立された民間の戦没者慰霊碑は約1万6千基にのぼるそうです。これらは主に地域住民や遺族会が主体となって建立したもので、多くが第2次世界大戦終戦直後から高度経済成長期(1950〜70年代)にかけて建てられたとみられています(※4)。復興から高度経済成長期への過渡期において、大切な人を亡くした思いに、社会としてどう向き合うか(あるいは区切りをつけるか)ということは、当時の重い課題だったのかもしれません。それが、戦後80年を経た今、遺族の高齢化や後継者不足により、維持管理や継承が課題となっているようです(※5)

【夏草に埋もれる女神か】
 図書館からの帰り道、久しぶりに件の女神像を見に行ってみました。かつての建立時には盛大な除幕式が行われ、人々が願いを託したといいます(※6)。小高い塚の上にあるので、当初は市域の各地から展望できたそうですが、今は周囲のマンションなどの建造物に遮られ、あまり目につかなくなってしまいました。 現在は、鉄道の高架化工事のヤードとして一部が利用されているせいもあるのか、夏草が茂って歩くのも憚られる状態でした。草をかき分けるようにしてたどり着いた女神像は長い時を超えて美しく、天空を指す指先に強い意志を感じますが、それでいて何も語りません。

女神像の足元へ向かう階段
女神像の足元へ向かう階段

 このような銅像は、その費用や合意形成のプロセスを考えると、強い意志と祈りが込められて建立できるものと思います。しかし、その意図は碑文に刻まれない限り、語り継ぐ人がいなくなれば、数十年で輪郭を失ってしまうのだと思うと、語り継ぐことの難しさを改めて実感します。

【認知し続けるという責任か】
 これは、私たちが日頃こだわっている生きものの大切さにも通じるところがあります。そこにいると知る人がいなければ、その存在はなかったことになり、世界から静かに消えていきます。戦争の記憶も、平和への切実な祈りも、誰かが気に留め続けなければ「なかったこと」になり、その積み重ねが、失うことにつながるのかもしれません。
 失いたくないもの、失ってはならないものについて、折につけ心に留め、語り、守ろうとする、そうした小さくても確かな行いを重ねることの大切さを、女神像は教えてくれたように思います。

(代表 高木圭子)


※1 多摩の歴史2 小金井市/東村山市/清瀬市/東久留米市/東大和市(明文社、1975年)
※2 東村山町広報 縮刷版 創刊号~町報最終号(東村山市、1993年)
※3 東村山市史10 資料編 近代2(ぎょうせい、2000年)
※4 戦没者慰霊碑の1割、存続の危機 厚労省、民間に委託し全国調査へ(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/AST533H79T53UQIP01YM.html?utm_source=chatgpt.com
※5 もう支えきれない 戦没者の慰霊の場が全国で消えていく(NHK)https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_101.html
※6 目で見る東村山・東大和・武蔵村山の100年(郷土出版社、2003年)