大島の椿油-生物多様性を多様なままに-

秋が深まってまいりました。感染対策の規制も少しずつ緩和され、旅好きが多い生きもの屋のはしくれである私も、そわそわと旅心が疼いてきて、先日伊豆大島に行って参りました。

【椿油のための椿園はない】
大島で有名なもののひとつに椿油があります。女性が髪のケアに使うイメージが強いですが、かつては主に食用だったそうです。大島の街中にひっそり佇む椿油の製油所にお邪魔しました(※1)。看板もなく大変入りにくい店構えなのですが、入ってみるととても気さくなご主人が出てきて、椿油の製法や歴史、美味しさなど、何から何まで時間をかけて説明して下さいました。
その中でとても意外だったのは、大島には椿油のための椿園というものはなく、伝統的に、島の人々が拾って製油所に売りに来る椿の実を使っていて、多くは耕作地の周囲に巡らせた椿の防風林の副産物だそうです。伝統的にそうであっても、商業ベースに載せるためにはどこかの段階で、ある程度安定的に生産できる圃場栽培に移行していくものですが、椿は植えてから立派な実をつけるまでに10年以上かかることもあり、そうした商業化には至らなかったようです。

椿油_製油所

製油所にならぶ圧搾機などは大正時代からのもの


【風土が伝統文化と特産物を育む】
さて、いやしくも植物屋の私には以前から疑問がありました。椿油の原料である「ヤブツバキ」はとくに伊豆諸島の固有種ではなく、常緑広葉樹林帯のことを「ヤブツバキクラス域」と呼ぶくらい、暖温帯ではありふれた植物で、東京のその辺の林でも見られます。なぜ大島だけが椿油の産地なのでしょう。お話にあった「椿の防風林」に大きなヒントがありました。椿がこうした目的で利用されてきたのは、もともと大島の厳しい風土に椿がよく育っていたからと思われます。確かに、東京で見る野生のヤブツバキはシイやカシなど常緑樹林のなかの低木として存在することが多く、花や実のつきは疎らです。いっぽう、大島も常緑樹の高木林が卓越していい気候帯ですが、実際には強い海風と、30-40年周期と言われる噴火による植生や土壌の攪乱のため、安定した常緑樹の高木林は限られていて、藪が多いです。そういった藪では文字通り、ヤブツバキの光沢のある葉が陽の光にさんさんと輝き、たくさん実をつけている様子が見られました。こうした大島独特の風土が「大島の椿油」というブランドの礎となっていのです。火山は人々を苦しめるだけでなく、他の土地にはないこうした賜物ももたらしてきたのです。

【椿油づくりに透ける持続可能性】
椿油が大島の人々の「暮らしの副産物」であったことはとても感慨深いです。かつて私達日本人は皆、暮らしの場に生じるたくさんの生物多様性の副産物をほとんど余すところなく利用して暮らしてきました。結果として生活の場には豊かな生物多様性がありました。しかし、いまでは生活に必要な食料も道具も、全てお金で手に入り、そういった恩恵をあてにすることもなくなりました。生活の場に入り込む動植物のほとんどは雑草雑木、害虫害獣とひとくくりに排除され、暮らしの場の生物多様性は失われました。
いっぽうで、お金で取引される製品やその原料の生産される農地もまた、単一の作物を効率よく生産することに特化して集約的に管理され、やはり生物多様性からかけ離れた空間となりがちです。たとえば、今では私達の生活のあらゆる場面で利用されるパーム油の生産現場では、生物多様性の高い熱帯雨林が切り拓かれ、見渡す限りのアブラヤシの農園に置き換わっています(※2)。
SDGsで世界の持続可能性が検討されるようになりましたが、経済のグローバル化は続き、大量生産と効率化が前提の議論が今も続くことに、なんとも言えない居心地の悪さを感じていました。持続可能な社会に必要なのは、防風林の副産物としての椿油のように、生物多様性を多様なままに利活用する技術や方法論の見直しではないのか。その思いに、椿油が背中を押してくれたように思いました。
製油所を見学したあと、三原山方面へのドライブの道すがら、道路際で椿の実を拾っている女性に会いました。「製油所にもっていくのですか?」と声をかけてみると「そうなの。今日は美味しいお寿司でも食べようと思って」と笑顔で返してくれました。かつて私たちの暮らしはこんなふうに、季節や時間や場所によって異なる様々な生物多様性の恵みを、少しずつ細やかに享受する生活であったと思います。

(代表 高木 圭子)

※1 椿油の高田製油所
http://www.tsubaki-abura.com/

※2 パーム油 私達の暮らしと熱帯雨林の破壊をつなぐもの(WWF)
https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/2484.html