中間貯蔵施設、福島の「いま」

雨の中間貯蔵施設

先日、日本環境アセスメント協会の野外セミナーに参加し、福島第一原子力発電所の周囲に展開された中間貯蔵施設を見学する機会に恵まれました。
福島県内の除染作業は2018年3月に完了し、県内各地に仮置きされた除去土壌や廃棄物は現在、中間貯蔵施設への搬入作業が急ピッチで進められています。この中間貯蔵施設は、福島第一原子力発電所を取り囲むように整備され、面積は実に約16k㎡、東京で言うと中野区より少し広いくらいの広大な面積です。
見学当日はあいにくの雨のなか、除去土壌などが入った黒い袋「フレコンバッグ」が果てしなく積まれる保管場や、これらを分別・処理するための真新しい建造物などを、バスの中から見学しました。「施設」というとなにがしかの建造物群を思い起こしますが、現状ではほとんどは除染で発生した除去土壌などの一次保管場所が占める無機質な光景です。

バスの車窓からのぞむ黒いフレコンバッグ群

バスの車窓からのぞむ黒いフレコンバッグ群


もつれあう有機と無機

いっぽう、敷地内にはまだ手がついていない空き地や農地、家屋もあり、無遠慮に生い茂った草木が覆う様子は、かつて人々の生活の場だったことを思い出させ、ハッとさせられます。失われた景観の要素であった草木が行き場を失いつつも、場違いなほどの生命力で古い景観の名残を飲み込んでいく有機と、じわじわと拡がる無機。これらが奇妙に入り組んで配置される様子に、時空が歪んだような不思議な感覚を覚えました。

 

福島と東京の「いま」

現在も環境省は、該当地域の用地取得のため、地権者の方々と交渉を進めています。この地に暮らしてきた人々の土地への思いは、せいぜい2,3世代前に地方から出てきて首都圏に暮らす私たちには想像が及ばない重さがあると思います。それを除染土壌や廃棄物の置場として提供するよりほかなかった無念はいかばかりでしょうか。
あの発電所が、福島県の人たちのためでなく、首都圏に電力を供給するために作られたものであったことが、とてもとても重く心にのしかかります。あの事故が、この地域の人たちから日常と、代々根を下ろして生活を支えてきた土地を奪い、その人生は決定的に変わってしまいました。いっぽう、あの事故のあと、あの発電所のエネルギーを享受して、首都圏に暮らしてきた私たちの生活は変わったでしょうか。首都圏で活動する多くの企業は、変わらず経済成長を目指してエネルギーと資源を消費し続けています。本当にこれでいいのでしょうか。

 

エネルギーと資源の消費を意識した企業活動のあり方

3.11以来、個人としてはエネルギーや資源の浪費について重く受け止めるようになり、社会生活に支障を来さない範囲ではありますが、出来るだけ資源やエネルギーを消費しない生活を心がけてきました。しかし、わが社はどうでしょうか。
当社は社員20名に満たない小さな会社で、消費するエネルギーや資源の量も、日本全体、地球全体からみればけし粒のように取るに足らない量です。収益性や効率を犠牲にしてそれを削減することにどれほどの意味もないかもしれません。しかし今回、福島の「いま」に向き合ってみると、企業活動のあり方を見直すことに、事業規模の大小は関係ないと強く感じました。

 

【参考情報】
環境省 中間貯蔵施設情報サイト:http://josen.env.go.jp/chukanchozou/
福島県 環境創造センター:https://www.fukushima-kankyosozo.jp/

(企画担当 高木圭子)