新年明けましておめでとうございます。

清々しい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

みなさま初詣はお済みでしょうか。今年は、自宅からすぐの氏神様にごあいさつしました。ここは、普段は無人の小さなお社ですが、境内はいつもきれいに掃き清められていて、欄間に精緻な彫刻が施してある小さな拝殿と本殿、更にちいさな祠がふたつあります。こんなふうに常駐する人もなく、小さいけれど小綺麗な神社が大好きです。

神社の写真

家を建てれば建てただけ、年収の何倍ものお金を投じて移り住む人がいる東京の北多摩地域で、こんな見晴らしのよい「ハレ」の土地に、美しい建物を建て、維持管理し、あまつさえ大きな樹木が葉やどんぐりを道に落とすのを許し、掃き清める。営業職の悲しい性でその経費や人件費のそろばんをはじけば、古くから営々と注がれてきた労力とエネルギーの膨大さに圧倒されます。なんのために私たち日本人は、お金にもご飯にもならない神社を守り続けるのでしょうか。

神社に祭られる日本の神々は数多いて、慈愛に満ちた神もあれば理不尽な神もあり、相互に関わりあって吉凶様々な事態を巻き起こします。その様子は、多様な動植物が複雑に関わり合って環境を生み出し、支え、時に恵みを、時には災いをもたらす生態系、生物多様性そのもののように私には思えます。生物多様性の恵みを享受して生活してきた先祖たちの、生物多様性に対する感謝とおそれの気持ちが、神社を生み守ってきた、そして今も守られているに違いないと思うのです。

私たちが日々職務の対象としている「生物多様性」の認知度は、愛知でCOP10が開かれた2010年以降減少傾向で、2020年までに認知度75%という生物多様性国家戦略の目標達成にはまだ課題が多いと言われています。けれど、このように地域の神社が大切にされているのをみるにつけ、「生物多様性」という新しい言葉はさておき、そのものを敬いおそれ尊重する気持ちは、私たち日本人の遺伝子に脈々と受け継がれているに違いない、それをちょっと思い出せばいいだけだと思うのです。その、ちょっとのフェイズ転換のようなものの鍵を求めて、今年も人と生きものと向き合っていきたいと気持ちを新たにしています。

本年もどうぞよろしくお願いします。

(企画担当 高木圭子)